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JFAアカデミー ~技術委員長 反町康治「サッカーを語ろう」第35回~

2024年01月17日

JFAアカデミー ~技術委員長 反町康治「サッカーを語ろう」第35回~

日本サッカー界の2024年は元日にSAMURAI BLUEが東京・国立競技場でタイ代表と親善試合を行い、幕を開けた。その後、代表チームはカタールの地で3大会ぶりのアジアの頂点を目指し、AFCアジアカップを戦っている。ライバルは多く、決して簡単な道のりではないけれど、日本が持つ最多記録を更新する5回目の優勝を飾ってくれるものと信じ、しっかりとサポートしていきたい。

日本の国内に目を向けると、報告したいことが一つある。この1月いっぱいでJFAアカデミー福島の男子は高校年代の活動を終え、今年4月からは中学年代だけの活動に絞られることになった。女子についてはこれまでどおり、中高一貫の6年間で人づくり、選手づくりを行っていく体制は変わらないが、東日本大震災以降、活動拠点としてきた静岡県裾野市での活動を終え、この春、福島の地に戻ってくる。つまり、2011年3月11日の東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた後、静岡に拠点を移していたJFAアカデミー福島は13年の歳月を経て、ついに男女そろって元の場所で活動するわけである。大震災直後、居場所を失ったアカデミーの子どもたちを快く受け入れ、何かと面倒を見てくれた静岡の関係者の皆様にはこの場を借りて厚く、深く、御礼を申し上げたい。

日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンターとして福島県の浜通り、双葉郡楢葉町、広野町にまたがる「Jヴィレッジ」が開設されたのは1997年のこと。その施設を利用して2006年4月に開校したのがJFAアカデミー福島だった。手本としたのはフランスのクレールフォンテーヌにあるフランス国立サッカー学院(INF)で、公募して集めた生徒にロジング(完全寄宿生活)形式による中高一貫教育を施し、サッカーに限らずいろいろな分野で国際的なスケールで活躍できる人材にして世に送り出すという高邁な理想を掲げて活動を始めた。初代のテクニカルアドバイザーにクロード・デュソーさんというINFの元校長にも大きな力を貸していただいた。

本家の〝虎の穴〟はニコラ・アネルカ、ウィリアムス・ギャラス、ルイ・サハ、ティエリ・アンリ、キリアン・エムバペら錚々たるメンバーを輩出し、1998年にフランスで開催されたFIFAワールドカップで優勝を飾って以降、サッカー大国としての地位を完全に固めたフランスの重要な選手供給源であり続けた。日本もそれに追いつき追い越せと頑張っていたところに直撃したのが東日本大震災だった。福島第一原子力発電所が地震と津波に襲われ、JFAアカデミーも移転を余儀なくされた。そんな窮状を引受先となって救ってくれたのが古くからJFAと交流があり、日本代表のキャンプ地としてもたびたび使われてきた静岡県御殿場市のリゾート施設「時之栖」であった。行政や学校関係者も対応に奔走してくれた。4月から始まる新年度のクラス分けは既に終えた後だったが、編入先の御殿場市立富士岡中学校は福島から転校してくる62人の中学生を加えて新たにクラス分けをやり直してくれた。高校生についても静岡、福島両県の知事、副知事、教育長同士が協議し、静岡県立三島長陵高校内にアカデミーの生徒たちが通っていた福島県立富岡高校のサテライト校を設置するという特例を設けてハードルをクリアしてくれた。「子どもたちをなんとか支えたい」という関係者の熱い気持ちと柔軟な対応がスムーズな移転を可能にしたのだった。その後、2015年からは、「株式会社 帝人」よりJFAアカデミー福島の女子選手の拠点として裾野市内に位置する帝人アカデミー富士をご準備頂き、女子の活動がより一層推進されたのであった。

震災後、福島第一原発の対応拠点となったJヴィレッジは2019年春に全面リニューアルオープンし、再開の緒についた。2021年からはJFAメディカルセンターの再オープン、JFAアカデミー福島の男子の部分的な再開がこれに続き、2024年春、女子の復帰で遂に完全復活することになったわけである。

JFAの理事会が福島の男子アカデミーの活動期間を6年から3年に短縮すると決めたのは2020年のこと。以降、6年プログラムを前提とした選手募集はしなかったことから、2023年は高校3年生17名だけでプリンスリーグ東海での年間を通じた戦いの末、優勝で有終の美を飾った。
男子のアカデミーを中学生に限定するのは、アカデミーを立ち上げた2006年当時と高校生世代の育成環境が大きく変わったからである。今では41都道府県に60のJクラブが存在し、それぞれのクラブに高校年代のユース部門がある。Jクラブ以外の、いわゆる町クラブも増えた。これだけの土壌があれば、そちらに選手育成を委ねても大丈夫だろうという判断が出た。中学の部を残したのは高校年代に比べて育成環境がまだまだ十分といえないからだ。サッカーを真剣にやりたい子どもがいても、近場にニーズに応えられる環境がないところがまだまだ多い。

アカデミーでは応募者の中から学年ごとに16人のフィールドプレーヤーと2人のGKを毎年入校させている。この春卒業する中学3年生の代から実はスカウト活動もしてきた。それまでは応募者の中からセレクションにかけて合格者を出してきたが、3年前から優秀なタレントがいると「ぜひ福島に来てください」とクラブの指導者や親御さんに働きかけるようになった。地元のクラブと競合した場合は「そちらを優先してください」と添えることを忘れずに。サッカーを続けたいと思っても、片道で2時間程度掛かるクラブに通う等の地理的な懸念や、経済的な懸念等、家庭の事情はさまざまある中で、双方の気持ちと事情がうまくかみ合えば、アカデミーに招き入れてきた。発育発達期である中学生年代で親元を離すという点についての懸念もあるが、寮生活で子どもたちは見違えるほどに自立していくのである。また、学校、グラウンド、寮が近距離にあることで、栄養摂取のタイミング、休息・睡眠の十分な時間の確保、そして義務教育下においては十分な学習時間を確保出来ること。こういった点にメリットを感じてくれて、JFAアカデミー福島を選択してくれる選手が多いことも事実である。特にGKはアカデミーに来れば指導者ライセンスを持った専任のコーチがいる。屋根付きの練習場もある。本人の努力次第でいくらでも伸びていける最高の練習環境が用意されている。

プロの養成だけが目的ではないけれど、現実にJリーガーを世に送り出すようにもなった。3期生の小池龍太(横浜F・マリノス)は苦労を重ねて2022年7月のEAFF E-1選手権でアカデミー出身者として初めてSAMURAI BLUEに選ばれた。ヴィッセル神⼾のGKオビ・パウエル・オビンナは5期生、11月のアルゼンチン戦に選ばれたU-22日本代表の植中朝日(横浜F・マリノス)は9期生だ。海外組も出てきた。10期生の三戸舜介(21)はアンダーカテゴリーの代表に選ばれ続け、アルビレックス新潟から来季はオランダのスパルタ・ロッテルダムでプレーする。11期生の松田隼風(20)は水戸ホーリーホックからハノーファー96に期限つき移籍した。沖縄の比屋根FCから来た13期生の花城琳斗は、まだ高校3年生ながら在学中のドイツ遠征でスカウトの目に留まり、VfBシュツットガルトに行くことになった。

福島の後、熊本の宇城(対象は男子中学生)や大阪の堺、愛媛の今治(対象はともに女子中学生)にもJFAアカデミーはできたけれど、おしなべて成果を上げているのは女子の方かもしれない。女子は男子に比べて競技人口は少なく、小学生までは男子と一緒にプレーができても中学生になると受け皿となるチーム数が極端に減って、サッカーを続けることが難しくなる。能力があっても近くに行き場がない女子のセーフティーネットとしてもアカデミーは機能しているわけだ。中でも福島はその育成力をアジアサッカー連盟(AFC)から高く評価され、「エリートユーススキーム」において最高ランクの三つ星を獲得した女子初のクラブになったほどだ。

そんなJFAアカデミー福島の女子からは在学中になでしこジャパンへ選出された13期生の谷川萌々子選手がバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)に加入することが決定。※2024年1月から期限付き移籍によりFCローゼンゴード(スウェーデン)でプレーする。
同じく13期生の古賀塔子がフェイエノールト(オランダ)への加入が決定した。
この様に、男女問わず高校年代から国内リーグを経由せずに海外に進出するというのも、新たな潮流となっている。

クレールフォンテーヌにあるINFを本校とするフランスの男子選手養成所は現在、分校が15にまで拡大している。フランスらしいのは、かつての植民地であるインド洋のレユニオン、カリブ海のグアドループにも分校があること。これらの養成所が対象とするのは13歳から15歳までの少年たちで2年間、月曜から金曜まで養成所に通い、週末はそれぞれの所属クラブに戻って試合をする。これは宇城も同じやり方だ。福島のようにチーム単位で活動した方がスタッフも選手も一体感が持てて、やる気が出るという見方はあるが、個の能力をひたすら磨くことに力点を置いてか、フランス人はそこをあまり気にしないようだ。ちなみにその宇城では昨年のU-15日本クラブユースサッカー選手権で準優勝に終わったソレッソ熊本に所属している選手が何人かいる。彼らは週末になるとソレッソで試合等の活動をしているのである。

話をINFに戻すが、この根底にあるのは徹底したエリート教育だろう。本校のINFが毎年採用するのは23人、他の分校は15人程度だそうで、11月から4月まで約半年をかけて実施するセレクションには毎年2000人ほどの希望者が集まる狭き門。卒業生の大半はプロのクラブに進むけれど、INFも含めて養成所は卒業後のクラブ選びには一切介入しないそうだ。

フランスが13-15歳の選手養成を重視するのは、一番技術を習得するのにふさわしいゴールデンエージ(小4-小6)に次いで、ポストゴールデンエージとなる中学生年代にも「ならではの難しさ」があるからだろう。身体が急激に変化するこの時期はメンタル的にも多感な時期で心身のバランスを崩しやすい。身長は急激に伸びても柔軟性は低下し、急に身体操作が難しくなって、それまでできていたことができなくなるクラムジー症状にも陥りやすい。そこで挫折する子も出てくる。外国籍の子どもは特に早熟というか成長過程は速いからサッカーに集中できる充実した環境を与え、より丁寧に観察していこうということなのだろう。スタッフの中にはフランス代表のGKコーチU-15がいるくらいだから、そういうトップ・オブ・トップのコーチに指導を受ければ選手も励みになる。アンダーカテゴリーのFIFAワールドカップを見ていると、レベルの高い個人戦術の集合体としてフランス代表の強さはどのカテゴリーでもずぬけている。その一因は、こうした徹底した英才教育にあるのかもしれない。

フランス代表の全員が養成所の出身者というわけではない。フランスにもいろいろなキャリアのパスウェイがある。ただ、才能に恵まれた人間の能力にさらに磨きをかけるためには「鉄は熱いうちに打て」は古今東西を貫く真理のような気がしている。他の競技でいえばプロテニス選手の錦織圭選手は象徴的な例で、いくら錦織選手が抜群の才能の持ち主であっても、13歳で米国のアカデミーに渡ることがなければ、今のようなレベルに到達したとはとても思えないのだ。錦織選手の成功は個の能力を最大限に伸ばすには厳しい英才教育が必要であることを示している。FCバルセロナの育成組織で寄宿生活を送った久保建英(レアル・ソシエダ)だってそうだろう。

そういう外国のやり方を見ていると、日本もただ指をくわえて見ているわけにはいかない気になる。少々のコストはかかっても中学生年代から英才教育を施すことは、その選手の成長を考えればプラスになるはずだ。いっそのこと、海外にJFAアカデミーの分校をつくったらどうかと思ったりもする。ドイツのデュッセルドルフにJFAの欧州拠点があるのだから、まずそこに分校をつくり、選手を留学させる。現地の学校に通ってドイツ語や英語を学び、週末は外国のチームと試合を行い、競わせる。そんな日常を過ごしたらどんな化学反応が起きるのか。今はオンラインで家族と頻繁にコミュニケーションは取れるから、ホームシックになるようなことも昔に比べたら少ないだろう。成果がすぐに出るとは限らないが、いろいろな選手のパスウェイがある中で、海外を絡めたJFAなりのメインロードを用意することは一考に値するのではないか。そんなことをふと思い描いてしまう。FIFAワールドカップ優勝を日本が本気で目指すのなら、個の力を今よりもさらに引き上げる必要があるのだから、夢としてそういう案を持っておくのも悪くないと思うのである。

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