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なぜ暴力・暴言・ハラスメントを用いてしまうのか?

暴力・暴言・ハラスメントによらないサッカー界のために。
暴力・暴言・ハラスメントを用いてしまう背景にはどのようなことがあるのでしょうか。
そして、どうしたらそのような行為を防ぐことができるのでしょうか。

手段を選ばず勝利を求める -勝利至上主義-

サッカーは世界のスポーツであり、たくさんの人が様々な形で関わっています。喜怒哀楽の感情が大きく動く、人々をおおいに熱狂、興奮させるスポーツです。グループで相手と競い合う、またグループ内で競い合う、その中で様々な状況や感情が生じます。
スポーツは勝利を目指して共通のルールのもと、全力で戦うものです。個人としてもチームとしても力を高め、それをゲームで発揮し勝利を目指すことがスポーツの楽しみです。

一方で、勝利はとても魅力的なものですが、手段を選ばずそれを求める勝利至上主義となると様々な問題が起こり得ます。
指導者による厳しい指導につながるケース、また保護者等が「勝たせてくれる指導者」と、容認してしまうケースも聞かれます。
あるいは指導者に対し結果へのプレッシャーとなるケースもあります。

指導者の知識・指導力不足

暴力・暴言等に関して、最もよくあるケースは指導者から選手に対するものです。
指導が思うようにいかない、指導力の不足、苛立ちや感情の爆発で思わず、といったケースもあるでしょう。暴力・暴言等を用いることを間違いだとは考えておらず、選手のために必要なことだと信じている指導者も存在します。

指導者と選手、特に選手が子どもの場合は、相対的な上下関係が生まれます。試合に出場するメンバーを選択する、される立場であることもあり、場合によっては進路等将来に関わる影響力を持つことになり、それも上下関係につながります。
指導者の知識不足、指導力不足、倫理観の欠如。これに関しては個々の指導者が勉強するしかありません。倫理観、競技に関する正しい知識、発育・発達に関する知識を含めて科学的根拠に基づいた効果的で適切な指導によって、選手やチームは成長していきます。

自らの経験に基づく指導

自らが子どもの時に暴力・暴言等を受けてきた経験を有していて、「スポーツ指導における暴力・暴言は必要悪である」「それが自分の競技結果に好影響を与えた」「その経験が自分を成長させた」という思いを、潜在的に持っている人もいます。
自らが経験してきたやり方を肯定してしまい、その考えに基づいて選手に対して同じような指導を繰り返してしまう。それ以外のより良い指導方法を知らず、科学的根拠に基づかない精神論・根性論でしかない指導がさらなる負の連鎖を生むことになります。

環境

指導現場はときにクローズになりがちです。
サッカーの現場は比較的オープンであり、多くの人の目があることが多いです。それでも、指導現場とはクローズになりがちであるということを、理解しておく必要があります。

指導者のエモーション

指導者に最も大事な要素である情熱。情熱を持って日々熱心に指導する中で、心ならずもエスカレートして行き過ぎてしまうこともあり得ます。
こういったケースは防げるはずであり、なんとしても防ぎたいものです。
だからこそ、お互いのために、気づきを伝える仲間、文化が必要です。様々な立場の人がかかわる中で、お互いの期待、思いの食い違いが、トラブルの種となりえます。クラブ、チームで大切にすること、お互いの期待、規範、約束事は、言葉にして予め確認しておきましょう。

サッカーに関わる全ての人が「当事者」

指導者と選手の間以外にも、他のスタッフ等様々な関係者、審判、選手同士、様々なケースが起こり得ます。
グラスルーツでもエリートレベルでも、子どもでも大人でも、ありえます。海外ではメディカルスタッフによるセクシャルハラスメントが大きな話題となりました。どの立場の誰にとってもまったく無縁ということはありません。
競技の中で、あるいは指導やケアをする中で、体の接触があることもスポーツ現場の特徴の一つです。

鍵は「傍観者」

保護者やサポーターからの心無い声も、サッカーの楽しみを奪う大きな問題です。
子どもに対する過度な干渉、審判に対する暴言、相手に対する敬意を欠く言動は、競技の安心・安全を損なうものです。自分のチームで何か問題があったときに、声のあげにくさ、相談のしにくさがあります。自分の立場が不利益になること、報復へのおそれ、連帯責任へのおそれ、特にチーム競技であることの集団主義の影響が出ることがあります。あるいは耐えなくてはならないと考えてしまいがちなこともあります。厳しく自分を律して競技をすることと、暴力・暴言・ハラスメントはまったく異なることです。

鍵となるのが傍観者です。
その物事に関係のない立場(当事者ではないという立場)や態度で見ている人、その場に居合わせている人です。行動が起こせない、見て見ぬふりをしてしまうこと。これは許容・受容にあたります。

JFAの理念

サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、
人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する。

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