ニュース
ピュアな精神を大事に ~技術委員長 反町康治「サッカーを語ろう」第1回~
2020年08月28日
2020年3月29日の日本サッカー協会(JFA)理事会で、JFAの技術委員長という要職を仰せつかった。現役引退後は01年からJリーグのアルビレックス新潟、北京オリンピック代表監督、湘南ベルマーレ、松本山雅と19年間も監督業にどっぷりと浸かってきた。監督という仕事を、それほど途切れることなく続けられたのは、ひそかな自負として私の中にある。が、Jクラブや代表での経験(イビチャ・オシム監督時代の日本代表アシスタントコーチも含む)が今回の技術委員長という仕事に生かせるのだろうかと自問自答している。
技術委員会とは
というのも、技術委員長が経験を土台にする仕事だとしたら、僕にはサッカースクールや、ジュニアユースやユース、大学生、女子サッカーの指導経験もない。どこかのクラブでゼネラルマネジャー(GM)をやったこともない。裏返すと、それくらい技術委員長の仕事は広範かつ多岐に渡るのだ。
でも、そんなあらゆる経験を積んだ人間が、この世にいるかというと、たぶんいないのだろう。僕としてはプロの現場で19年間、いろいろな修羅場をくぐり抜けた経験を糧にしながら、いろいろな人に会いに出かけ、話し合い、学びながら、今よりも少しでも良いゲーム環境をつくっていきたいと考えている。
新しい仕事を始めて感じるのは、ここにはまだピュアな部分が残っているということ。サッカーは相手との駆け引きがうまくいき、いいプレーができたときの喜びは何ものにも代えがたい。そういうサッカーの魅力をここでは純粋に追求できる。おそらく協会はそういうピュアな部分はずっと残していくべきなのだろう。ある高名なプロ野球の監督は「グラウンドには銭が落ちている」との名言を吐いたそうだが、僕はピッチに落ちているのは喜怒哀楽と考える方。今回の仕事でも、そういう哲学を形にしていけたらと思っている。
そもそも技術委員長とはどんな仕事だろうか? 僕自身は「名前を変えた方がいいんじゃないか」と思うこともある。「技術」というと言葉が醸し出すイメージと、実際に今の僕が取り組んでいる仕事の間にはずいぶんと開きがあるように感じられるのだ。
世間一般の方は、技術委員会は日本代表と名のつくチームの強化を担当する部署であり、技術委員長はそのトップだと思われている人がほとんどだろう。それは間違いではないのだが、やはり仕事の一部に過ぎない。新型コロナウイルスの影響で目につきやすい代表活動が著しく制限されているのもあるが、僕のアタマの中を占める95%は、目に見えない裏方の仕事というのが、委員長になってみての実感である。
例えば、来年から段階的に福島に戻るJFAアカデミーの今後の在り方について。
あるいは、指導者養成なら、ライセンスの発給や更新時に行うリフレッシュ講座の、どれを中止にし、どれを後ろ倒しにしてでも開催するのかの選別。
来年発足する女子プロリーグの「WEリーグ」は女性の指導者を増やすことも目標に掲げている。では、それに見合ったライセンス制度はどうあるべきなのか。
大学サッカーに足を運べば、関係者が今までの大学サッカーの選抜チームが参加していたユニバーシアード大会におけるサッカー部門が除外されてしまい、大学在学選手の強化という点で頭を抱えていることがわかる。これは日本のサッカーのことを考えると大きな痛手である。大学サッカーで目標となる大会が無くなったことによって大学サッカーの終着点をどう設定すべきなのか。
コロナ禍も絡んだ、そんな難問が次々に降ってくる。
僕自身は、そういう課題を委員長面して解決する気はない。いろんな人に会って、話を聞いて、意見を採り入れていく風通しのいい委員会にしたいと思っている。コロナ禍で制約があるものの、いろいろな場所に足を運んで、現状を把握することが大事だと認識している。
3本柱+普及
技術委員会には三つの柱があると、よくいわれる。「代表強化」「選手育成」「指導者養成」である。そこに僕はあえて「普及」も足して、力を入れたいと考えている。
というのも、三本柱の方はエキスパートがたくさんいて、何十年もかけて敷いたレールが既にきちんとあるからだ。そのレールから外れないように行えているか、あるいはそのレールに軌道修正が必要か、今は観察していればよい。しかし普及に関してはレール自体がまだ敷けていない状況にあり、緊急性はこちらの方が高いと思うのだ。
日本社会の現状として深刻な少子化があり、減る一方の子供たちはインドア派が増えていると聞く。「ステイホーム」を促す新型コロナの影響で余計に子供は外遊びをしなくなっているとも。サッカーにとって、スポーツにとって由々しき事態だろう。
一方、毎年発表される「子供たちの憧れの職業」という調査で男子は「プロのサッカー選手」が一番になることが多い。サッカーという競技の面白さ、世界を股にかける国際性が支持を集める理由なのだろう。また親御さんから見た場合、大きなケガのリスクは低く、協調性が身につきやすい、家の近くにクラブやスクールがあるといった敷居の低さも「やらせたい競技」として魅力的なのだろう。そこは強みとして自認していいように思う。
ただ、いつまでもそこに、あぐらをかいてはいられないという現実も、ひしひしと迫っているように感じる。コロナ禍においては子供たちの健康と安全を最優先に考えるのは当然のこと。そこは確保しながら、いかに子供たちを外に連れ出すか、スマホではなくサッカーボールに触ってもらうか、リアルなサッカーの試合を見てもらうか。サッカーの入り口、サッカーとの接点をもっともっと増やさないと、これから先細りになっていくという危機感が僕にはある。技術委員会の中で月に一回の普及部会を開いているが、そこで競技人口を確保するために冗談交じりに「プロサッカー選手の子供には、サッカーをやらせるように統一契約書に盛り込んだらどうだ」という提案をしたくらい……。
普及部会では、サッカーをもっと子供に身近に感じてもらうアイデアが次々に出てくる。映像制作に力を入れるというのも一例だ。親に使い方を教えるくらい子供がスマホになじんでいるのなら、SNSを通じてサッカー関連の映像が子供たちの目に頻繁に届くようにする。正月になると、リオネル・メッシ(FCバルセロナ)や中村俊輔(横浜FC)がいろんな技に挑戦する特番が流れるけれど、入り口は「サッカーってすごい」「面白そう」というそんな楽しい映像で十分じゃないだろうか。
関塚NDとの住み分け
サッカーを愛する皆さんの、おそらく最大の関心事である日本代表の話をすると、技術委員長である僕と関塚隆ナショナルチームダイレクター(ND)の仕事の住み分けを、ここで文章化しておきたい。
技術委員長の仕事は、代表関係でいえば、U(アンダーエージ)の文字のつくチームから年齢制限のないチームまで全体の組織図をつくり、それぞれをどう並べ、スタッフをどう編成するかを練るのが僕の役目になる。全スタッフとの契約交渉も担当。全代表チームの年間スケジュールをJリーグ、Jクラブ、大学、高校、中学校の関係者らと話し合い、策定するのも大事な仕事だ。日本代表の国際試合のマッチメークも受け持ちだ。
関塚NDは日本代表と五輪代表の強化に特化した存在といえる。森保一監督のメンバー選考をサポートし、時に助言もする。トレーニング会場の選定、宿泊移動などのスケジューリングなど現場の統括管理は関塚NDの領域。選考対象の選手には所属クラブに招集のレターを送付する。FIFA主催の公式大会やインターナショウナルウィンドウの期間なら選手を自由に呼べる日本代表と違って、五輪代表の場合はJFAに拘束力がない。そんな選手を支障なく五輪代表に加えるためには、その難しい作業を可能にするネットワークをクラブ、代理人らと普段から構築しておかなければならない。
関塚NDは日本代表と五輪代表を100%以上の力でサポートする。よく「サポートする人と評価する人が一緒でいいのか」と質問されるが、それはクラブも同じだ。GMは監督をサポートし評価もする。進退に関わる最終的なジャッジにクラブの社長やその他の強化担当が加わることもある。議論の輪をどれだけ広げるかはクラブによって異なる。
技術委員会の場合、最終的なジャッジを下す必要に迫られたら、その輪に僕が入るのは当然だろう。大事なことは手厚く支えながら冷静な目も同時に持つこと。プロの仕事をするということだ。
育成で気になること
選手育成という柱では「ポストユース」の問題が一番気になっている。「鉄は熱いうちに打て」というけれど、高校を出た後、大学を出た後の熱い期間に十分に鉄を打ててないように思うのだ。
これが海外だったら、マンチェスター・シティーが板倉滉や食野亮太郎をまず自分たちの支配下に置いてから外に貸し出して、ゲーム環境を与えるようなことが当たり前に行われている。そこから片道切符になるか、マンチェスター・シティーに戻ってこられるかは本人の才覚次第。日本はこれがなかなかできていない。若い選手を囲ってレンタルにも出さず、才能を眠らせたまま、選手生活に「さよなら」になるという例が後を絶たない。育成を考えると、そこが一番のボトルネックになっている。
日本も育成型期限付き移籍の活用、J3にFC東京、セレッソ大阪、ガンバ大阪がU23のチームを送るなどして若手の伸長を図ってきた。しかし、まだまだ実になっているとは言いがたい。
Jリーグは今年3月から若手育成を主眼に「Jエリートリーグ」を始めるはずだった。それもコロナ禍で中止になった。クラブの予算が減る中で来年以降も選手育成をクラブはどう考えていくのだろうか。
若い選手はちょっとした環境の変化、指導者との出会いで航路が大きく変わるものだ。現在、アラブ首長国連邦(UEA)のアル・アインで活躍する塩谷司は国士舘大時代、無名に近い存在だった。そこに元日本代表の柱谷哲二氏が指導に来て、柱谷氏が水戸ホーリーホックの監督に転じたことで、塩谷も水戸でプロになり、サンフレッチェ広島、日本代表という道が開けた。今はベルギーのシントトロイデンにいる鈴木優磨は鹿島で出番がないころ、JリーグのU22選抜の一員としてJ3で戦ううちに一皮も二皮もむけた。
そういう成果から判断すると、指導者との巡り合い、良い試合環境を与えることの大事さを痛感する。毎年、地道にこつこつといろんな施策を打つことの大切さを思う。
いろいろなことがコロナ禍で次々と起こる中で、それに一つ一つ対処していく自転車操業のような日々。その対応を誤らないように心がけてはいるが、そこに10年後、15年後という視点を外してはいけないとも思う。今、コロナ禍に直撃されている小学6年生は10年後には五輪世代になっている。たった10年しかないと思うと、今、ちゃんと将来につながることをしなければと思うのである。