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SAMURAI BLUEレポート report

2017.7.20

【恩師が語る日本代表選手の少年時代#第2回】:大迫勇也(1.FCケルン)<前編>高校入学前に大学生を相手に1得点・1アシスト…鹿児島中に名を轟かせた少年時代…鹿児島中に名を轟かせた少年時代

鹿児島城西高等学校の小久保悟監督が、大迫勇也選手を初めて見たのは、彼が小学校6年生の時だった。提携校である鹿児島育英館中学校にサッカー部が新設され、その第一期生のセレクションに大迫選手が参加していたのだ。

その時、小久保さんは、それほど大きなインパクトを受けたわけではない。

「そんなに大きくはなかったですし、他の選手に比べて技術がずば抜けているわけではなかったです。ただ、ゲームをやらせたら点をたくさん取るので、面白い子がいるなという印象でしたね」

同時に小久保さんは、こうも思ったという。「この子は、まだまだ伸びしろがたくさんあるな」と。

もちろん、セレクションは合格だった。新設のサッカー部に来てくれる保障はなかったものの、大迫選手は次のような理由で、入学を決意したという。

「本人に後から入学の理由を聞いたら、上級生がいないので、最初から試合に出られるからと言っていました(笑)」

サッカー部の一期生として入学した大迫は、小久保さんの予想通りにめきめきと上達していった。

チームは全員が1年生だが、対戦相手は3年生が主体のチームがほとんど。それでも大迫選手は臆することなく立ち向かい、コンスタントにゴールを記録した。

「最初はトップ下だったのですが、そこでも点を取るので、より厳しいプレッシャーがかかる場所でプレーさせようとセンターフォワードにコンバートしました。センターフォワードは後ろに相手を背負ってのプレーが求められるポジション。プレッシャーを受けながらのボールの受け方だったり、前にターンするところだったり、今も本人が得意とするプレーは、すでにこの頃から身に付いていましたね」

中学2年生になると、大迫選手はチームでずば抜けた存在となっていた。鹿児島県内にもその名は広く知れ渡り、小久保さんの予想をはるかに超える選手へと成長を遂げていった。

提携校である鹿児島育英館中学校の練習にも携わっていた小久保さんだが、大迫選手を本格的に指導したのは、鹿児島城西高等学校に入学してから。しかし、入学する直前に、大迫選手には驚かされることがあった。

中学校卒業後の春休み、入学前の大迫選手を高校の遠征に帯同させた。対戦相手は大学生。試合は0-0のまま均衡が破れず、残り15分を迎えていた。

そこで小久保さんは、せっかく連れてきたのだからと、大迫選手をピッチに送り込む。するとあっという間にゴールを決め、さらにアシストも記録。1得点・1アシストの活躍で、2-0の勝利に貢献したのだった。

「中学校を卒業したばかりの子が、大学生を相手に2得点に絡んだのです。しかも、たった15分間で。その実力は把握していましたが、ここまでやれるのかと、本当に驚きましたね」

1年生の5月から始まったインターハイ予選でもメンバー入りを果たした大迫選手は、すでにスーパーサブの地位を確立していた。そして鹿児島県予選の準決勝でも大仕事をやってのける。試合が拮抗した展開になると、「そろそろあいつが出てくるぞ」と周りがざわつき始める。

小久保さんが「行ってこい」と大迫選手を送り込むと、ポンポンと2点を取ってしまった。そしてお役御免とばかりに大迫選手をベンチに下げ、「ご苦労さん」と労をねぎらったのだった。

「まだ1年生だったのでフルで使うことはありませんでしたが、対戦相手だけじゃなくて、他の学校の関係者も知っていました。大迫が途中から出てきて、ゴールを取るってことを。それほどまでに鹿児島のなかで注目を集めていましたし、実際にゴールを取ってくれるので、こちらとしては助かりましたね(笑)」

1年生にして圧倒的な存在感を放っていた大迫選手は、まさに順風満帆のキャリアを歩み、U-17日本代表候補にも名を連ねるようになっていた。しかし、2年生となりチームの中心になると、責任感の強さがスランプを招くこととなる。

「FIFA U-17ワールドカップ 韓国2007のメンバーに選ばれなかったことも影響したかもしれないですが、チームでも自分が何とかしなくては、という思いが強すぎて、ひとりよがりなプレーが目に付くようになってきました。持ちすぎてボールを失う機会が増え、次第に点も取れなくなってしまいました」

そこで小久保さんは、こうアドバイスを送ったという。

「このままではダメになるぞ。もう少し周りを使ってプレーしなさいと。一旦預けて、またゴール前でもらうような動きをしたほうがいいということを、彼には伝えました」

大迫選手がさらに成長できたのは、周りの意見を聞く耳を持っていたからだろう。

「大迫は本当に真面目でしたし、天狗になることもなかったですね。我々スタッフも謙虚にサッカーをやれということを常に伝えていましたし、本人もひたむきにサッカーに取り組んでいました。スランプに陥った時も、私の意見をしっかりと聞いてくれて、そこから大迫のスタイルは大きく変わったと思います」

ひとりでサッカーをするのではなく、周りを活かして、自らも活きる。そうした考え方を持つようになった大迫選手は、スランプから脱却。再びゴールを量産し、チームメイトも大迫選手に引っ張られるようにレベルを上げていく。そして鹿児島城西高等学校は全国レベルの強豪校へと成長を遂げていった。

前線で起点となる今のプレースタイルは、このスランプをきっかけに生み出されたものだった。周りを活かし、自らもゴールを奪う。のちに日本代表のストライカーへと成長する大迫選手は、この時すでに自らのプレースタイルを確立し始めていた。

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