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SAMURAI BLUEレポート report

2017.7.21

【恩師が語る日本代表選手の少年時代#第2回】:大迫勇也(1.FCケルン)<後編>超高校級と呼ばれたストライカーが絶え間なく続けた「努力」

前線でボールを収めて起点となり、落ち着いたシュートでゴールを量産する。有能なセンターフォワードとして覚醒した大迫勇也選手だが、鹿児島城西高等学校の小久保悟監督は彼の最大の特長を、「戦術眼の高さ」だと認識している。

「自分で点を取ることもできますし、周りを使うのもうまい。チームメイトも大迫を信頼しているので、どんどん追い越す動きが出てきて、攻撃が活性化する。ただし、周りを使うにはやっぱり、全体が見えていないといけない。相手の守備陣形がちょっと曖昧だなとか、どこで受ければ次に展開しやすくなるのかとか、大迫は試合の流れや相手の動きを見ながら、そういうチャンスの芽を見出す能力が本当に優れていたと思います」

またもうひとつ特筆すべき能力として、小久保さんは「身体の強さ」を挙げた。それを表すエピソードがある。

「一度、どれくらい強いのかと思って、チームメイトと相撲を取らせました。投げたり組んだりするのは禁止で、押すだけのルールだったのですが、大迫はチームメイトを次々に押し出していきました。180センチ以上あるゴールキーパーも簡単に押し出すので、これは勝負にならないなと。そこでサッカー経験者で身体つきの良い若いコーチとやらせてみたのですが、そこでも互角に渡り合っていました。高校生でありながら、身体の強さは大人にも引けを取らないものがありました」

小久保さんも練習中にディフェンダーとして大迫選手に対峙した経験があるのだが、背後からプレッシャーをかけても、全く動じず、片手で抑えられながら、簡単にポストプレーを許してしまったという。

「私もサッカー経験者ですから、高校生に負けるわけがないと思っていたのですが、プレスをかけても全く動かないんです。あの強さは、もはや高校レベルではなかったですね」

そして小久保さんは、「努力」も大迫選手の優れた能力として付け加えた。

「もちろん才能はあったと思いますが、彼の場合は本当に努力をしていましたね」

大迫選手は毎日、練習が終わったあとに、居残りでシュート練習を行っていた。ゴールキーパーに付き合ってもらい、ただ強いシュートをたくさん打ち込むだけでなく、ゴールキーパーが手の届かない位置に転がすようなコントロールシュートなど、様々なキックを駆使して、シュートし続けた。これは鹿児島育英館中学校に入学した時から、高校を卒業するまでの6年間、ほとんど毎日欠かさずに行っていたという。その習慣はプロになってからも変わっておらず、所属する1.FCケルンでもコーチの許可を得た時は、居残りでシュート練習に励んでいるそうだ。

大迫選手は学校までバスで1時間ほどかけて通っていた。帰りのバスは比較的早い時間になくなってしまうので、バスに間に合わないことも珍しくはなかった。そうした時には、祖父母が車で迎えに来てくれたという。そうした家族のサポートも、大迫選手の能力を引き延ばしてくれた要因のひとつになっていた。

高校3年生になった大迫選手は、まさに超高校級のストライカーとして、全国にその名を轟かせた。インターハイ鹿児島予選の決勝では、名門の鹿児島実業高校を相手にひとりで5ゴールを決め優勝に貢献すると、九州プリンスリーグでもゴールを量産。全国高等学校サッカー選手権大会の県予選では5試合で11ゴールを決める活躍で、母校を8年ぶりとなる全国大会へと導いた。

全国高等学校サッカー選手権大会で見せた活躍は、多くを言うに及ばないだろう。初戦から4試合連続で2ゴールを決め、準決勝、決勝でも1得点ずつを記録。大会通算10ゴールは史上最多で、今もその記録は破られていない。

実は小久保さんは、常日頃から大迫選手に「1試合2得点」をノルマとして課していたという。実際に選手権では2得点ずつを決めていたので驚かされたそうだが、あるスタッフが「本当は3点以上取れただろう?」と大迫選手に聞くと、「明日があるので」と、返したそうだ。本気とも冗談ともつかない発言だったが、大迫選手であれば本当に得点をコントロールできたのかもしれないと、小久保さんは今となっては考えている。

結局、鹿児島城西高は決勝で広島皆実高に敗れ準優勝に終わったが、6試合で29得点と圧倒的な攻撃力を全国の舞台で見せつけた。そのうち大迫選手は10ゴールを奪い、さらにアシストも10を記録。実にチーム総得点の3分の2に絡んだ計算になる。

「あれだけ注目されて、10点取ったのはすごいことですし、アシストも1番だった。大迫が成長して周りを使えるようになり、周りも彼につられて成長していった。あの時の城西高校は、本当にいいサイクルで回ったチームでしたね」

試合後、集合写真にはひとりだけメダルをかけていない大迫選手の姿が写っている。

「ジャンケンも負けたくないような子でしたからね。ミニゲームでも勝つまでやるようなタイプ。とにかく負けず嫌いでした。一方で、高校生が相手では物足りなさを感じていた部分もあったと思います。大学生が相手でも普通にやれていましたから。だから、決勝で負けて、改めて自分自身がもっと強くならないといけないと感じたのかもしれません」

2017年6月13日(火)アジア最終予選 イラク代表戦を終えると、大迫選手はオフの期間を利用して母校を訪れ、小久保さんと言葉を交わしている。

「イラク代表戦で点を取ってよかったですけど、本人は勝てなかったことを相当悔しがっていました」

その時、小久保さんは大迫選手にあるお願いをしている。

「とにかくワールドカップに連れていってくれ。お前しかおらんと、はっぱをかけておきました(笑)。前回のブラジル大会にも大迫は出ましたが、私は応援に行けなかったんですよ。ロシアには応援に行きたいと考えているので、ぜひともワールドカップ出場を決めてもらいたいですね」

3年前とは異なり、今や日本代表の中心選手のひとりとなった大迫選手が、恩師の願い、そして日本中の想いを背に、ワールドカップにつながる最後の戦いに挑む。

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