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第12回日本サッカー殿堂 掲額者決定

2015年08月07日

第12回日本サッカー殿堂 掲額者決定

日本サッカー協会は、第12回日本サッカー殿堂に故・松丸貞一氏、下村幸男氏、二宮寛氏、鬼武健二氏の4名(特別選考)を掲額することを決定しました。なお、今回は、投票選考の実施はいたしませんでした。日本サッカー殿堂(日本サッカーミュージアム内地下1階)に掲額される方々の総数は、今回の4名を加え72名となります。

特別選考(4名)

故 松丸 貞一(まつまる ていいち)1909年生まれ

1930、40年代、日本サッカー発展の中心的役割を担った慶応大学の監督として関東大学リーグ4連覇、OBも含む慶応BRBを全日本選手権(現天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝4回に導き、土台を築いた。その手法として、ドイツ流サッカーで新風を吹き込んだ、時代を象徴する人物である。戦前は、技術指導の中心的な存在として日本サッカー界をけん引し、戦後は初代審判委員長として、審判委員会の体制作りや審判員の技術向上に尽力するとともに、国際審判員としても活躍した。1997年没。

下村 幸男(しもむら さちお)1932年生まれ

1965年からスタートした日本サッカーリーグ(JSL)において、監督として優れた手腕を発揮し東洋工業を4連覇に導いた。さらに、70年にも5回目のリーグ優勝を果たし、天皇杯も3回優勝するなど功績を残した。また、藤和不動産(後にフジタ工業)の監督となり、後に日本一を争うチームの基礎を築いた。1979年からは日本代表の監督も務め、指導者としての実績を重ねた。JSLでは総務主事を務めるなど運営面においても功績が大きく、日本サッカー界の発展を支えた功労者の一人である。

二宮 寛(にのみや ひろし)1937生まれ

1967年から三菱重工の監督をつとめ、JSLの最多勝率60.1%を記録し、三菱の黄金時代を築いた。日本初の南米遠征や選手の海外留学など、当時では革新的な活動を実施するなど、クラブ強化の側面から日本サッカーの成長を推し進めた。また、ドイツサッカーとのパイプを切り開き、名将ヘネス・バイスバイラーとの親交から、日本代表監督時代には奥寺康彦氏の1FCケルン移籍の橋渡し役になった。日本代表の待遇改善などにも尽力してその価値を高めた。

鬼武 健二(おにたけ けんじ)1939年生まれ

1967年から78年までヤンマーの監督を務め、日本サッカーリーグ174戦で93勝を記録した最多勝監督。この間にJSLと天皇杯でともに優勝3回という偉業を果たし、ヤンマーの黄金時代を築くとともに、ブラジル出身の選手をチームに溶け込ませて新しいスタイルを構築した。また、セレッソ大阪のJリーグ加盟に尽力し、Jリーグ専務理事を経て、2006年に第3代Jリーグチェアマンに就任。ACLサポートプロジェクトの立ち上げによるJクラブのレベルアップ、イレブンミリオンプロジェクトによる集客施策、環境改善につとめ、日本サッカーの発展に多大な貢献をした。

※生年月日順

投票選考(実施せず)

公益財団法人日本サッカー協会殿堂委員会にて、前回同様、日本代表50試合以上出場またはJSL1部150試合以上出場または年間最優秀選手受賞者を対象に候補者の選出を図ったが、「日本サッカー界に永年にわたり、顕著な貢献をした選手」という内規に鑑み、議論の結果、今回は候補者選出が困難であると判断し、第12回日本サッカー殿堂では投票選考を行わないこととした。

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