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日本代表:ワールドカップ予選激闘の歴史 History

2017.08.03

【経験者が語るアジア最終予選の真実#第6回】2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ:田中マルクス闘莉王<前編>「絶対に見返してやる」闘将に備わっていた強烈な反骨心

1分2敗でグループリーグ敗退に終わった2006 FIFAワールドカップ ドイツを、田中マルクス闘莉王選手は苦々しい思いで見ていた。

「なぜあそこに僕はいないんだろうって。Jリーグではずっと活躍していたし、(当時所属していた)浦和レッズも強かった。だけど、ジーコ監督には一度も呼ばれなかった。なぜ選ばれないんだろうと思っていたし、非常に悔しかった。だから、次の代表で呼ばれたら、絶対に見返してやろうと。オシム監督に代わって代表に選ばれた時は、そういう気持ちでした」

2006年8月、イビチャ・オシム監督が就任した日本代表に、闘莉王選手は初めて招集された。それからの4年間、この屈強なセンターバックはまさに中心選手として、日本代表を牽引することになる。

闘莉王選手にとって大きかったのは、やはりオシム監督の存在だ。

「オシムさんは違う角度からのサッカーを見せてくれたし、多くのことを勉強させてくれた監督。オシムさんの指導を受けるなかで、サッカーは奥深いものだと改めて感じました」

闘莉王選手だけでなく、日本サッカー界に大きな影響を与えた指揮官は、残念ながら志半ばでチームを去ることとなる。2007年11月、病に倒れ、日本代表を指揮することができなくなったのだ。このショッキングな出来事を、闘莉王選手は次のように振り返る。

「すごく驚いたし、本当に心配しました。オシムさんと一緒にワールドカップに行きたかった。これまで様々な監督とサッカーをやらせてもらいましたが、オシムさんの考えるサッカーはいい意味で変わっているというか、経験したことがないものでした。だからもう少し長く、オシムさんの下でサッカーをしたかったですね」

翌年に2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ・アジア3次予選を控えた重要な時期での、思いがけない監督交代。後任に就いたのは日本を初めてワールドカップに導いた岡田武史監督だった。新体制で臨む今後の戦いに向けて、闘莉王選手をはじめ、日本代表の選手たちに不安はなかったのだろうか。

「それはなかったですね。岡田監督は横浜F・マリノスの監督で、浦和レッズとはいつも激しい戦いを繰り広げていました。非常に男気のある監督だと思っていたので、信頼していました。岡田さんとしては、難しい部分もたくさんあったと思います。突然監督になったわけですし、はじめのうちはメンバー選びも含め、オシムさんのやってきたことを継承しようと考えていたでしょうし、そのあたりで少し、葛藤はあったんじゃないかなと思います」

2008年1月、キリンチャレンジカップ2試合を経て臨んだ2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ・アジア3次予選初戦のタイとの一戦は、4-1と快勝。岡田新体制は世間の不安を払しょくする好スタートを切った。ところが、直後に中国で行われた東アジアサッカー選手権2008では、中国にこそ勝利したものの、朝鮮民主主義人民共和国と韓国に引き分けて2位に終わった。そして翌3月、2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ・アジア3次予選のバーレーン代表戦で0-1と敗戦を喫してしまう。

しかし、この敗戦が日本代表にとってのターニングポイントだったと闘莉王選手は考えている。

「僕はこの試合に出ていなかったけれど、岡田さんはここで切り替えたのだと思います。自分のやりたいようにやるというふうに。負けに良いも悪いもないと思いますが、いろいろなきっかけを掴めた敗戦だったと思います」

不安がなかったと言っていた闘莉王選手だったが、やはり岡田監督に代わった当初は、選手たちにも少なからず混乱があったという。

「オシムさんのサッカーと岡田さんのサッカーはまったく違うものだったので、スムーズには切り替えられませんでした。全員で集まる時間が限られているなかで、岡田さんがやりたいことを習得するのに時間がかかったのは事実。ただ、岡田さんはこうと決めたらやり通すという強いメンタリティがある方なので、選手のなかにも監督の意思を感じ取り、信頼してやっていこうという思いは備わっていきました」

メンバー選びにも、岡田監督の考えがはっきりと打ち出されていた。自らの目を信じ、内田篤人選手や香川真司選手、本田圭佑選手ら若い選手を次々に抜擢し、チームに取り込んでいく一方、闘莉王選手と中澤佑二選手を中心とした守備の強化にも力を注いでいった。

「やはり失点が多いと勝てないんですよ」と闘莉王選手は主張する。

「これは日本代表だけじゃなくて、世界共通ですが、どうしてもなかなか点は取れないので、失点をいかに少なくするかがテーマでした。佑二さん(中澤選手)は横浜F・マリノスでも岡田さんの下でやっていたから、その考えは理解していたし、一緒に練習するなかで、無失点、悪くても1失点という考えでやっていました。そうやって試合を運んでいけば、セットプレーなどで1点は取れると思っていました。後ろはとにかく失点しないこと。そこにプラスアルファとして、オシムさんから教えてもらったビルドアップであったり、攻撃参加であったり、という部分も出していければいいなと考えていました」

結果的にこの時期に培かわれた闘莉王選手と中澤選手を中心とした日本代表の守備組織は、2010年の本大会でも世界と互角に渡り合うこととなる。

「僕と佑二さんほどのコンビはいないでしょう。お互いに良さを引き出し合っていたし、やられるとは思っていなかった。今までの日本代表のセンターバックにはなかったレベルだったと思います」

闘莉王選手が自画自賛するように、岡田監督に率いられた当時のチームは、抜群の強度を誇る守備を身に付けていくこととなったのだ。

バーレーンに敗れた日本代表だったが、第3戦ではホームでオマーンに3-0と快勝。しかし、続くアウェイでのオマーン戦では1-1の引き分けに終わった。この試合で闘莉王選手は致命的なミスを犯してしまう。1-1で迎えた56分、エリア内で相手選手を倒してPKを献上してしまったのだ。

「ものすごく暑いところで、本当にタフな試合でした。あの場面では判断を誤って、相手をひっかけてPKを与えてしまいました。でも、ナラさん(楢﨑正剛選手)が止めてくれたので助かりましたね。あのあとに嘉人(大久保嘉人選手)が退場になったので、もしあの場面で1点取られていたら、そのまま負けていたかもしれない。あの日ほど、ナラさんに感謝したことはないですね(笑)」

楢﨑選手の活躍で、アウェイで貴重な勝点1を掴んだ日本代表は、タイ、バーレーンに連勝し、4勝1分1敗とグループ首位で、最終予選進出を決めたのだった。

同年9月から始まった2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ・アジア最終予選で日本代表は、バーレーン、ウズベキスタン、カタール、オーストラリアと同組となった。

初戦は3次予選でも同組だったバーレーン。しかも0-1で敗れたアウェイでの試合だった。そこで再び日本代表は、アウェイ戦に苦しめられることとなる。

「僕、この試合で8キロやせたんですよ」

闘莉王選手は、そう振り返った。

「ナイトゲームでしたが、ものすごく暑くて、快適にサッカーができる環境ではありませんでした。前半のうちに2点を取っていい流れを作れたのですが、ロッカールームに帰ったらエアコンがまったく効かない。燃えるような暑さで、後半はもう立っているのもやっと。終盤に3点目を取りましたが、最後に立て続けに2点入れられてしまって……。なんとか逃げ切ることができましたが、試合が終わった時は、もう倒れそうになっていましたよ(笑)」

必死で掴んだアウェイでの勝利だった。重要な初戦、しかもアウェイで勝点3を得た日本代表は、南アフリカに向けて幸先の良いスタートを切った。

しかし、続くホームでのウズベキスタン戦は1-1の引き分けに終わる。

「ウズベキスタンは強かったですね。ロングボールだけではなく、しっかりとサッカーをしてくるチームでした。玉田選手(玉田圭司選手)のゴールで追いつきましたが、ホームで良いサッカーを見せたいという堅さもあったのかもしれないです」

アジア最終予選はアウェイだけでなく、ホームで勝つことも簡単ではない。それを実感した一戦だった。

第3戦のアウェイでのカタール戦は、田中達也選手、玉田選手、そして闘莉王選手がゴールを決め、3-0と快勝だった。

「相手には帰化した選手が何人かいて、良いサッカーをするチームでした。勝因はロッカーが涼しかったこと(笑)」

そう冗談めかして語る闘莉王選手だったが、この時期から岡田監督のサッカーに手応えを感じ始めていたと振り返る。

「迷いなく、試合をできましたね。岡田さんが求めることが表現できるようになってきていました。後ろで凌ぐだけではなく、達也(田中選手)を中心に、前からの守備が機能していたし、はっきりした戦いができるようになっていましたね」

アジア最終予選序盤の3試合で、2勝1分と好スタートを切った日本代表は、年が明け2009年2月11日、第4戦で宿敵オーストラリア代表との大一番を迎えた。

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