JFA.jp

JFA.jp

EN
ホーム > 最新ニュース一覧 > 3度目の優勝を目指す大場崇晃選手(レーヴェ横浜)が語る大会の思い出 JFA第14回全日本ビーチサッカー大会
トヨタ
ニチバン
明治
モルテン
国内競技会開催事業

ニュース

3度目の優勝を目指す大場崇晃選手(レーヴェ横浜)が語る大会の思い出 JFA第14回全日本ビーチサッカー大会

トヨタ
ニチバン
明治
モルテン
国内競技会開催事業

2019年09月03日

3度目の優勝を目指す大場崇晃選手(レーヴェ横浜)が語る大会の思い出 JFA第14回全日本ビーチサッカー大会

JFA第14回全日本ビーチサッカー大会が9月6日(金)に鳥取県・鳥取市賀露みなと海水浴場で開幕します。ここでは、第10回大会と第12回大会で優勝を経験した大場崇晃選手(レーヴェ横浜)に、ビーチサッカーの魅力や大会の思い出を聞きました。

※このインタビューは8月25日(日)に実施しました。

――ビーチサッカーを始めた時期ときっかけは。

大場 高校を卒業してすぐ、ドルソーレ北九州でビーチサッカーとフットサルを同時に始めました。それまではサッカーをしていました。サッカーは小学3年生くらいで始めて、一度中断期間はありましたが、小学6年生で再開してそれから高校卒業までプレーしました。
ビーチサッカーは、今もドルソーレ北九州の代表を務めている岡本英雄さんに誘ってもたったのがきっかけで初めてプレーしました。僕の兄と岡本さんが幼馴染で、たまたま僕が兄の代わりに行ったフットサルの会場で誘ってもらいました。高校卒業後は理学療法士の専門学校に進んだのですが、19、20歳くらいからラモス瑠偉監督に日本代表に呼んでもらって、そこから結果的に専門学校をやめる決断をしました。その時、家族ともけんかをしたのですが、岡本さんが「守ってやるから」と支えてくれたことで決心できましたし、モチベーションになりました。その頃から「俺はこの世界でやっていくんだ」って強く思うようになりました。だからドルソーレは今でも自分にとってとても大切なチームですね。

――始めた当時のビーチサッカーの環境は。

大場 ビーチは地元に良いところがあったのですが、チームは創設1年目で、最初の遠征をしたときは人数が5人しかいませんでした。それでも全日本ビーチサッカー大会は2012年の第7回大会で初出場しました。どの大会の思い出も明確に残っていて、自分にとってはキーになるような大会です。優勝した15年大会までは3大会連続で1次リーグ敗退でした。初出場、2回目は全然駄目で、3回目の岡山での大会ではレキオスに実力差を見せつけられて、そこからチームとしても個人としても意識が変わりました。その翌年に一気に優勝でしたし、あの年は公式戦無敗で全国大会でも負ける気がしませんでした。優勝したこともありますが、この大会に出場してもっとビーチが好きになりました。

――全国大会は12年のビーチサッカー大会が初めてですか。

大場 そうですね。ただ、フットサルはボルク北九州(現ボルクバレット北九州)でプレーしていたので、2012年の全日本フットサル選手権大会に出場したこともあります。そこでは名古屋オーシャンズと対戦することができて経験を積むこととができました。

――ビーチサッカーとフットサルはピッチサイズやプレー人数は共通するものがありますが、プレーは違いますよね。

大場 プレーの内容は全く違いますね。もちろんフットサルも楽しいし、好きですが、フットサルの場合は機械的に決められた動きが多いですよね。僕はそこがあまり自分に合わなかったし、逆にビーチサッカーの方が合っているのかと思ったのでビーチ一本でやっていこうと思いました。

――特に印象に残っている大会は。

大場 やはりドルソーレで優勝した第10回大会ですね。あれはしびれました。満身創痍の中で、延長戦の残り50秒のところで僕がゴールを決めて勝つことができました。その直後に全身をつってしまって、優勝した瞬間はベンチで寝ていました(笑)。相手の東京レキオスBSには後藤崇介さんや田畑輝樹さんら日本代表の選手が勢揃いだったので、ビーチサッカー界の流れも、僕のキャリア的にもあそこから一気に流れが変わったと思います。それまではずっとレキオスとソーマプライアの2強状態だったところを覆したのは大きかったですね。

※インタビュー後編(9月4日掲載)に続く

大会日程:2019年9月6日(金)~2019年9月8日(日)
大会会場:鳥取県/鳥取市賀露みなと海水浴場
大会情報はこちら

アーカイブ
JFAの理念

サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、
人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する。

JFAの理念・ビジョン・バリュー