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【東京オリンピックに向けて】小川航基選手インタビュー

2019年11月27日

【東京オリンピックに向けて】小川航基選手インタビュー

2020年7月開幕の東京オリンピックに向けて、11月17日には国内で初の親善試合を戦ったU-22日本代表。今回は、6月のトゥーロン国際大会準優勝にも貢献したフォワードの小川航基選手(水戸ホーリーホック)に話を聞きました。

――いよいよ8か月後に東京オリンピックが迫ってきました。小川選手にとって東京オリンピックは自身のキャリアにおいてどんな位置づけでしょう?

小川 ひと言で言うと、通過点ですね。もちろん出たいですし、出ることから逆算して(ジュビロ磐田から水戸ホーリーホックに)レンタル移籍を決断したり、いろんなものを考えてやってきましたけど、その先には22年のFIFAワールドカップカタールとか、さらにその先もある。なので、通過点だとも思っています。

――U-22日本代表の活動において常々、「危機感しかない」と話しているのが印象的です。

小川 本当に危機感しかないですね。代表ではポジション争いが熾烈ですし、水戸でも思っていたより点が取れていませんから。

――夏に加入して7ゴールというは、決して悪い数字ではありませんが。

小川 でも、ふた桁以上取って「水戸をJ1に上げたのは俺だ」という、誰が見ても分かりやすい結果を出すのが目標だったので、そう考えると、全然ダメだと思います。

――一方、活躍の場をJ2に移し、コンスタントに試合に出られるようになって得られたものもあるのでは?

小川 ゴール前での嗅覚や点を取る形を取り戻せたのはよかったと思います。高校時代には確実にあったけど、ジュビロ時代に薄れてしまっていたので。7ゴールを見ても、左足こそなかったですけど、右足、頭、左右のクロスから、振り向きざまとか、いろいろな形で取れた。あと、J2に来て、もうあとのない状況のなか、プライドを捨ててガムシャラにやれているのもよかったと思います。自分にとって今は下積みという感覚なんです。今、日本代表に選ばれている選手にも、J2経験者がたくさんいるじゃないですか。

――川島永嗣選手、遠藤航選手、中島翔哉選手、かつては香川真司選手、乾貴士選手など、たくさんいますね。

小川 その人たちもJ2で力を付けて羽ばたいていった。だから自分も、苦しい時期を迎えていますけど、ここで力を付けて追い抜いていきたい。挫けない、下を向かないというメンタルの強さが自分の強みでもあるので、「見とけよ」と思っています。

――高校ナンバーワンストライカーとしてジュビロ磐田に加入し、U-20日本代表時代は絶対的なエースだったのでエリートという印象がありますが、リバウンドメンタリティを備えていると。

小川 でも、自分ではエリートとは思ったことがないですけどね。(桐光学園)高校時代もうまくいかないことばかりでしたし、高2のときには大怪我も負いましたし。その前も負けてばかりで、自分のサッカー人生が順調に来ているなんて思ったことがない。だから、満足したことがないし、例えば、試合で点を決めても、嬉しいんですけど、満たされることがないというか。常に危機感を覚えながら歩んできた気がします。

――そうしたリバウンドメンタリティ、雑草魂を身に着けたのはいつ頃ですか?

小川 やっぱり高校時代だと思います。サッカーだけじゃなく、人間性の部分も学ばせてもらったので。監督にはよく怒られたし、勝てなかったり、怪我をしたり、苦しい3年間でしたけど、精神的なところで成長したと思います。そうした経験があったから、2年前、U-20ワールドカップで怪我をしたときも自分と向き合えたんだと思います。

――サッカー選手にとって怪我はしないほうがいいですが、それでもポジティブに捉えるなら、2年前の怪我からどんなことを学びましたか?

小川 食事に対する意識は変わったと思います。タンパク質何gとか、そういう計算や身体に対するケアの意識も変わりましたね。水戸で90分間出るようになって、やっぱり疲労を感じるようになったので、休むときにはしっかり休むということを徹底するようにもなりました。あと、JISS(国立科学センター)でリハビリをさせてもらったんですけど、いろんな競技の選手と交流する機会があって。サッカーでは清武弘嗣さんがいて、いろんな話を聞かせてもらいましたし、スキーの選手の方もいて。スキーでは前十字靭帯を傷めることはザラで、突き指くらいの感覚らしくて。それを聞いて、落ち込んでいるのがダサく感じて前向きになれたり。そうした他競技の選手との交流も刺激や勉強になりましたね。

――話をU-22日本代表に戻すと、10月のブラジル遠征でU-22ブラジル代表を3-2と下したあとにも、小川選手は「満足できない」と話していました。

小川 僕が裏を狙って相手のディフェンスラインを下げて、それがミドルシュート3発に繋がったのは良かったですけど、僕自身もいい動き出しでボールを引き出した場面があったので、仕留められなかったという悔しさがありました。チームが勝ったのは嬉しかったですけど、僕自身はモヤモヤしていたというか。

――1トップに求められている働きはたくさんあって、それを実践しなければならないけれど、「俺が点を取ってチームを勝たせるんだ」という気持ちをなくしてはいけない。

小川 もちろん。なんなら、それが一番上じゃないと、FWとしてはダメだと思います。さっき「U-22代表の攻撃陣、絶対的に得点力不足」という記事を読みましたけど、確かにこのところ、FWが点を取れていない。このままだと1トップにオーバーエイジが必要という話になってしまう。でも、まだ評価を覆すチャンスはあるし、FWは結果を出せば、世界を変えられるポジションなので、何も諦めてないです。

――これまでの小川選手はゴール前での仕事に集中する傾向が強かったように見せていましたが、U-22日本代表ではポストワークなどもこなし、プレーの幅が広がっている印象を受けます。

小川 そこは自分でも感じているところですね。ジュビロ時代にも監督の名波(浩)さんからポストプレーの精度やタイミングを指摘されていて。練習ではトライしていたんですけど、試合に出られなかったので、実戦で試す機会がほとんどなかった。今は水戸で起用してもらえているので、実戦で試して、コツを掴みつつある。その成果が代表でも出せているのかなと思います。

――11月の広島合宿ではU-20日本代表時代のチームメイトであり、日本代表の堂安律選手、久保建英選手、板倉滉選手が合流しました。練習で小川選手を見ていると、彼らと久しぶりに一緒にサッカーをすることを楽しんでいるようで、しかし、悔しさや焦りなど、いろんな感情が湧いているのかなとも感じます。

小川 おっしゃるとおりで、いろんな感情がありますね。特に(堂安)律とはプライベートでも仲がいいし、U-20代表時代は律のパスからたくさんの点を取ってきた。また一緒にサッカーができるのは嬉しいし、刺激も受けていますけど、どんどん先に行かれてしまったな、という悔しさもある。律とはこの合宿でサッカーの話もたくさんしているので、僕にとってもこの合宿が何かのきっかけになりそうな気もしています。

――先ほどポジション争いが熾烈とも言っていましたが、1トップの座を争う上田綺世選手、前田大然選手に負けない小川選手の武器はなんでしょう?

小川 ゴール前での仕事の部分、いろいろな形で点が取れること。それは自信があります。あと、僕は雰囲気も重視していて。相手に「こいつ、何かやるんじゃないか」という、味方に「あいつなら、何かやってくれるんじゃないか」という雰囲気をいかに醸し出せるか。東京オリンピックという大舞台では、持っている選手しかやれないと思っていて、僕は自分がそういう雰囲気を持っていると信じている。その自信はあります。

(本インタビューは11月中旬に行われました)

第32回オリンピック競技大会(2020/東京)

サッカー競技日程:2020/7/22(水)~2020/8/8(土)

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