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日本代表:ワールドカップ予選激闘の歴史 History

2017.03.25

【経験者が語るアジア最終予選の真実#第1回】1994年アメリカワールドカップ:福田正博<後編>「窮地からの希望、そして新たな重圧・・・」

日本代表は、いきなり窮地に立たされていた。

1993年10月15日、カタール・ドーハで幕を開けた、FIFAワールドカップアメリカ大会アジア最終予選。日本は初戦のサウジアラア戦をスコアレスドローで終えると、続くイランとの一戦で1-2と敗戦。2試合を終えて1分1敗で、6チームで争われるこの最終予選の最下位に転落した。

「追い込まれたどころじゃなかったですよ」

福田さんは、当時の状況を述懐する。

「5試合しかない中で、2試合で勝点1しか取れなかった。もう、終わったような雰囲気でしたね。なぜなら、この2試合でできるだけ勝点を取れると考えていましたからね」

日本の他にこの最終予選には、サウジアラビア、イラン、朝鮮民主主義人民共和国、韓国、イラクが参戦。このうちサウジアラビアには、前年のアジアカップ決勝で勝利しており、ある程度の力関係を把握していた。イランに関しては、情報はそれほどなかったものの、負ける相手ではないと考えていた。

「初戦ということもあってサウジアラビア戦は難しくなるだろうとは思っていたけど、イランの負けは痛かった。まさかという感じだったし、個人的にもなにもできませんでした」

この最終予選で福田さんは、極度の不振に陥っていた。1次予選とは比べもののないほどのプレッシャーがのしかかり、コンディションも決して万全ではなかった。思う通りに動けないから自信を失い、プレーが消極的になっていく。それでもなんとかしようと試みるもミスを連発。そしてさらに自信を失い……。完全に負のスパイラルにはまってしまったのだ。

「そもそも、自分の持っている7割の力しか出せないくらいに思ってやればよかったのに、120%を出そうと思ってやっていた。はなからそれは無理な話ですよね。感覚的には、そこに50%の差があるわけだから、焦りしか生まれない。焦ればミスが生まれるし、ミスを起こせば自信を失う。悪循環に陥る中で、メンタルを完全にコントロールしきれてなくなっていました」

はたから見ても不調に陥っているのは明らかで、オフト監督は、続く朝鮮民主主義人民共和国から福田さんをスタメンから外している。

窮地に追い込まれた日本だったが、第3戦の朝鮮民主主義人民共和国戦で3-0と快勝を収めると、続く韓国戦にも1-0と勝利。4試合を終えて、2勝1分1敗で日本は首位に立ち、残るイラク戦に勝利すれば、ワールドカップ出場を手に入れられるところまで巻き返したのだ。

「オフトはあの状態から良く立て直したと思います。覚えているのは2試合を終えたときに、ホワイトボードに『3win』って書いたこと。シンプルなんだと、これしかないんだと。これまでずっとスタメンだった僕と高木琢也の2人を外す決断も下して、残り3試合をすべて勝つために、できる限りのことやったと思います」

もっともワールドカップ出場に王手をかけた日本だが、新たな重圧が彼らを襲っていた。「あと一つ勝てば、世界の舞台に立てる」。これまで出場経験のない日本にとって、未知のプレッシャーだった。

1993年10月28日、運命のイラク戦を迎える。試合が始まると、福田さんはスタジアムの異変に気付いた。

「最初はあまり観衆がいなかったのに、気付いたら、イラクのサポーターだらけになっていて、スタジアムが異様な雰囲気に包みこまれたんです」

中立地とはいえ、アウェイの雰囲気が濃厚に漂う中、日本は開始5分、この予選で好調を維持する三浦知良選手のゴールで先制に成功。そのまま1-0で前半を折り返した。

悲願達成まで残り45分。夢が現実に近づく中、ハーフタイムのロッカーは、殺気立った雰囲気だったという。オフト監督が指示を出そうとしても、興奮状態にあった選手たちはそれぞれが修正点を話し合い、その声に耳を傾ける者はいなかった。

「僕はスタメンじゃなかったので、ハーフタイムはピッチでアップしていた。だから、ロッカールームで何が起きていたか分からなかったけど、選手たちがすごく興奮しているのは感じていました」

メンタルをコントロールできなかったのは、あと少しで未踏の地へ辿り着けるという前向きな状況だったこともあるが、イラクが思いのほか難敵であることを、身をもって感じていたことも影響していた。

「イラクはあの最終予選で戦った中で、一番強かったと思う。中盤で完全にやられていたし、身体も強い。決定機を何本も作られるなか、どうにか防いでいる状態だった」

案の定、後半が始まるとさらに攻勢を強めたイラクに同点ゴールを許してしまう。

福田さんは同点とされた直後にピッチに立ったが、すぐさまイラクの強さを肌で感じるとともに、日本の落ち着きのなさも感じ取っている。

「とにかくバタバタしていましたね。そのあとに、中山(雅史)が勝ち越しゴールを決めたけど、あれもオフサイドと言われてもおかしくないシーンでした。そうした幸運があった一方で、イラクの攻撃は脅威だったし、時間が経つにつれて、プレッシャーも強まっていった。ただワールドカップに行きたいという想いだけじゃなくて、僕たちは日本サッカー界のすべてを背負ってプレーしていた。その使命感が、大きなプレッシャーになっていたのかもしれない」

それでも日本は何とか耐え凌ぎ、1点リードしたまま時計の針は90分を刻もうとしていた。その時、イラクにコーナーキックを与えてしまう。

「当時はアディショナルタイムの表示がなかったけど、もう終わるとは思っていました。あのコーナーキックが終われば、笛が鳴るんじゃないかって」

だから、イラクがショートコーナーを選択した時、福田さんは「まさか」と思ったという。

「あの状況で、ショートコーナーを選択するとは思いませんでした。一番混乱する状況で、ショートコーナーをやられたから、マークも分からなくなったし、みんな完全にボールウォッチャーになってしまった」

右サイドからクロスが上がる。ヘディングシュートを打たれる。そして、緩やかな軌道が日本ゴールに吸い込まれていく。その光景は、福田さんの目には、スローモーションで映し出されていた。

「まだ時間はある」と気持ちを切り替えたが、一方で「厳しいな」という想いも同時に感じていた。それからほどなくしてタイムアップの笛が鳴る。他会場の結果次第でワールドカップ出場の可能性はまだ残されていたが、ベンチに目を向けるとオフト監督が煙草を叩きつけていた。

「ああダメだったんだ」

その時、福田さんは夢が叶わなかったことを知った。

福田さんには、それからの記憶がほとんどない。どのように控室に戻り、どうやってホテルに帰り、ホテルで食事をしたかどうかさえも、まるで覚えていない。気づいたら日本に帰国する飛行機の中だった。その時、オフト監督に投げかけられた言葉だけが、福田さんの記憶に残っている。

「お前どうしたんだって。何もできなかったけど、どうしたんだって。その言葉だけは、今でも強烈に覚えています」

「ドーハの悲劇」の経験は、それからしばらく大きなトラウマとして、福田さんの中に残った。

「批判されることよりも、自分が何もできなかったというショックが大きかったですね。なにもできなかったのは分かっていたけど、なぜできなかったのかと認める勇気はなかった。そのあとのJリーグでも、ピッチに立つのが怖かった。失敗するのが怖かったし、完全に自信を失っていました。あれから2年くらいは自信がないままプレーしていましたよ。それくらい、あの最終予選では、叩きのめされたんです」

あれから24年の月日が流れ、福田さんは改めて思うことがある。

「さっきも言いましたけど、120%の力なんて出せないんです。70%くらいの力しか出せないんだから、自分の100%の絶対値を高めないといけない。それができれば、70%の力でも勝つことができる。すべてを出し尽くし、目一杯で戦うのではなく、そういう気持ちでサッカーをしないといけなかったと今では思えるけど、あの時はそんな発想がなかったですね」

では、アジア最終予選を経験した者として、福田さんは今の日本代表の最終予選の戦いぶりをどう見ているのか?

「今の選手たちは経験値もあるし、実績も残しているので、僕がとやかく言うことではないけど、勝って当たり前というプレッシャーがかかっているのは事実。それでもサッカーは点を取るのが難しいスポーツだし、思い通りにならないことも多い。だから周りからなにを言われても、自分を見失わずプレーしてほしいと思いますね」

アジア最終予選で苦戦を強いられる現日本代表だが、福田さんは良い兆候も感じ取っているという。

「ブラジル大会からあまりメンバーが代わらずにやってきましたけど、ここへきて26、27歳くらいの、サッカー選手として良い時期にある選手が台頭してきた。清武や原口、大迫もそう。あの世代が出てきた一方で、本田とか岡崎とか長く主軸を担ってきた選手たちが、まだポジションを譲らないという気概でやっていく。そういう状況になった時にチームは良い方向に向かって行くもの。その意味で、今は良い流れになっていると思います」

福田さんは日本代表のロシア行きを、さほど心配していない。唯一、現代表に要望があるとすれば、自分が使われている意味を理解してプレーしてほしいということだ。

「自分にしかできないことをするから価値がある。言われたことを一生懸命こなそうというのは日本人の美徳ではあるけれど、それでは誰が出ても同じサッカーになってしまう。言うこと聞くだけではなく、自分が使われている意味を考えてプレーしてほしい。それがチームの特長になっていくはずだし、強いチームには欠かせないもの。自分たちの持っている良さを、もっともっと示していってほしいですね」 

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