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習慣化された準備と反省~森保一監督手記「一心一意、一心一向 - MORIYASU Hajime MEMO -」vol.02~

2019年07月31日

習慣化された準備と反省~森保一監督手記「一心一意、一心一向 - MORIYASU Hajime MEMO -」vol.02~

体感することにまさる経験はない

先のコパアメリカには、多くの人の力を借りて参加することができました。選手選考の過程で尽力してくれた日本サッカー協会の関係者、シーズン中にもかかわらず身を削って選手を派遣してくれたJクラブの関係者、そして大学サッカーの関係者の皆さんの協力と理解によって、コパアメリカを戦うことができ、感謝の言葉しかありません。
選手選考においては難しさもありましたが、大会に参加してみて思うのは、日本が今後もコパアメリカに出場する機会を得られるのであれば、“絶対に”参加したほうがいいということです。これは、自分が日本代表の監督だから言うのではなく、それほど日本にとって参加する価値があり、日本サッカーのレベルアップにもつながる機会だと、強く感じられた期間だったからです。
対戦相手のレベルが高く、そこから自分たちが得られたものが大きかったことが最大の理由ですが、今回は、年齢的に若い選手たちと経験豊富な選手たちが、同じ時間を共有できたことも成長につながったと実感しています。
経験が豊富な選手たちの、練習も含めたオン・ザ・ピッチ、もしくはオフ・ザ・ピッチでの立ち居振る舞いを見て、「なぜ、彼らがここまでキャリアを積み上げることができたのか」ということを、年齢の若い選手たちは肌身を持って感じたはず。ときには背中で、ときには言葉によって伝えてもらうことで、対戦相手から受けた影響と同じくらい、もしくはそれ以上の刺激を受けたことでしょう。
その刺激は同世代にも当てはまります。すでに冨安健洋は、昨年9月から1年近くA代表で活動してもらっていますが、その冨安がA代表での経験を得て、どれだけ成長しているかを、今回、東京五輪世代の選手たちは肌感覚で知ったはずです。
同年代の選手たちのみでプレーし、または試合をしていれば、感じることのできなかった刺激。これは自チームだけでなく、対戦相手にも言えることですが、コパアメリカでは、自分たちが目指すべきところが、もっともっと上にあるということを、選手、我々スタッフも含めて感じ、目指す基準値が全体的に上がりました。
改めて、「体感することにまさる経験はなし」ということを知ったコパアメリカでした。それは1試合目よりも2試合目、2試合目よりも3試合目と、選手たちが、物怖じすることなく、勇敢に、勇気を持って戦ってくれた姿を見ても感じてもらうことができたのではないかと自負しています。

タイミングを計ってもらったデビュー戦

振り返れば、自分自身も、経験させてもらったことが積み上げられ、選手として成長させてもらった記憶があります。
高校を卒業した僕は、ハンス・オフトさんによって引き上げられ、マツダSCに所属することができるようになりました。でも、恥ずかしながら、そこから2年半もの間、一度たりとも公式戦に出場するチャンスはもらえませんでした。
社会人になって、初めて公式戦に出場したのは1989年のJSL(日本サッカーリーグ)2部の試合。実は、自分としては、その少し前にもリーグ戦に出場できそうな雰囲気を感じていました。特にその年は、プレシーズンに行った中国遠征などでも、ずっと試合に出場する機会を与えられていたこともあり、少しだけ自信を得ていたのです。それもあって、当時チームを統括していた今西和男さんに、一度だけ、「何で試合に出場させてもらえないのか」と、聞きに言ったこともあります。そのときは見事に、「試合に出る実力であり、姿勢がまだまだ足りない」と言われ、返り討ちにされましたが(笑)。おそらく、当時の自分が抱いていた慢心や奢りのようなものを見透かされていたのだと思います。
でも、その裏で、今西さんや当時ヘッドコーチを務めていたビル・フォルケスさんは、僕が公式戦にデビューするタイミングをずっと計ってくれていました。自分が“少し前に”試合に出場できると感じていた対戦相手は、順位的にも上位のチーム。もし、その試合でデビューし、思うようなプレーができず、試合にも負けてしまえば、培いつつあった自信をも喪失する恐れがある。今西さんやフォルケスさんは、そう考えてくれていたのでしょう。当時マツダSCのヘッドコーチを務めていたフォルケスさんは、マンチェスター・ユナイテッドでプレーしていた選手で、あの「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれた飛行機事故の生存者のひとり。経験も豊富ならば、選手の心情を理解してくれる指導者でした。だから、それほどプレッシャーの掛からない状態で、僕をデビューさせようと考慮してくれたのでしょう。
実際、デビュー戦となった試合では、得点を決めることもできれば、勝利に貢献することもでき、自信になりました。そこから試合に出場し続けることもできるようになり、自分が成長する大きなきっかけになりました。

自分自身を見つめ直せた2年半の時間

ただ、個人的には、試合に出場することができなかった2年半も、決して無駄ではなかったと感じています。自分にとっては、サッカーにおいても、人間形成という部分においても、その期間で多くを学び、考えることができたからです。それは日々を振り返る時間も多ければ、自分自身を見つめる時間が多かったこともあります。練習に向けて、試合に向けての「準備」、そして練習を終えて、試合を終えての「振り返り」。サッカー選手として重要な「準備」と「反省」というサイクルを、この期間に考え、習慣化することができたからです。
試合に出られない自分には何が足りないのか。何を身につけなければいけないのか。さらには何を強みにしていけばいいのかを、このときから自然と考えるようになりました。
今でも思い出すと笑ってしまうのですが、何かしなければいけないと思った自分は、パワーやスピードをつけようと、当時住んでいた寮の階段をダッシュしたこともあります。当時は器具やマシーンもなかったので、部屋でできる腕立て伏せや腹筋や背筋といった筋トレをしてみたこともあります。それが効果的だったのかは全くもって分かりませんが、人より劣っているのだから、何かをしなければと、とにかく行動に移しました。そのときは自分のことしか見えていなかったので、周りはもっと努力していたのかもしれませんが……何かをしなければと思える環境にいられたこと自体が幸せだったように思います。

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