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【心をひとつに~能登半島復興へ】第5回「少しでも早く施設を復旧させ、七尾市を再び人でにぎわう場所にしたい」株式会社石川スポーツキャンプ・吉田泰代表

2025年06月03日

【心をひとつに~能登半島復興へ】第5回「少しでも早く施設を復旧させ、七尾市を再び人でにぎわう場所にしたい」株式会社石川スポーツキャンプ・吉田泰代表

石川県七尾市にある和倉温泉多目的グラウンド、能登島グラウンド、能登島マリンパーク海族公園、和倉温泉運動公園テニスコートを拠点に、スポーツ合宿や大会などの運営サポートを行っている株式会社石川スポーツキャンプ。年間10万人以上が利用していた施設も、2024年1月1日の能登半島地震で状況は一変しました。石川スポーツキャンプの吉田泰代表に話を聞きました。

※このインタビューは2025年3月24日に実施しました。

「石川県をスポーツ合宿大国にする」、もう一度やろうと思えた励ましの声

――2013年に石川スポーツキャンプを設立され、石川県七尾市のスポーツ施設における合宿や大会の運営をサポートされています。経緯を教えてください。

吉田 石川県七尾市の和倉温泉地区は、昭和の時代は企業の慰安旅行などの団体客向けの温泉地としてにぎわっていたのですが、時代の流れもあって団体客が減少し、最大で年間180万人ほどだった宿泊者数は100万人を切りそうになっていました。そこで2009年から、七尾市は、スポーツ施設をつくって温泉宿や民宿を活用する形で、スポーツの合宿や大会を誘致する取り組みをスタートさせました。私は和倉温泉旅館協同組合の臨時職員として、そのスポーツ合宿推進協議会の事務局を務めていました。2010年に和倉温泉多目的グラウンド、2012年には七尾市能登島グラウンドが完成し、それらの管理・運営に携わっていましたが、2013年に自分で会社を立ち上げ、推進協議会の業務を引き継ぎました。


2010年に完成した和倉温泉多目的グラウンドは、サッカーコート3面、フットサルコート2面、
ビーチサッカーコートを完備。海に面していて豊かな自然を感じられ、温泉街からも近い

――どういう思いで石川スポーツキャンプを立ち上げられたのですか。

吉田 当初の目的と変わらず、七尾市の交流人口を拡大し、地域の宿泊者を増やし、石川県をスポーツ合宿大国にするためです。和倉温泉と能登島の施設には、国際サッカー連盟(FIFA)公認の人工芝を使用したグラウンドが計5面あります。年間で宿泊者5万人、施設利用者10万人が目標でしたので、そこに向けて進んでいきました。現在は能登島マリンパーク海族公園、和倉温泉運動公園テニスコートも運営しています。


七尾市能登島グラウンドは2面のサッカーコートのほか、体育館やフットサル&テニスコートが隣接。2026年3月に復旧予定

――ご自身もスポーツはされていたのですか。

吉田 私は地元が石川県金沢市で、小中高はサッカーをしていました。社会人になってからは近所の中学生のチームで指導も始めました。選手たちにはいろいろと経験させてあげたくて、和倉温泉にもサッカーの試合や大会で来ていたんです。それが今の人生につながる大きなきっかけになっていると思いますね。

――宿泊者は4万人、施設利用者は10万人を超えるようになり、その矢先に能登半島地震がありました。当時のことを教えてください。

吉田 私は金沢市の自宅でSAMURAI BLUE(日本代表)のタイ代表戦をテレビで見ていました。試合後に地震速報が鳴り、最初は少し揺れた程度でしたが、すぐに大きく長い揺れが来ました。能登のことも心配で、翌日、現地に向かいました。朝5時に車で出発し、通常1時間で着くところが6時間ほどかかって、着いたのは11時頃でした。

――移動中も目に見える光景から、いろいろなことを感じられていたのではなないでしょうか。

吉田 そうですね。能登に近づくほど道路が隆起し、地割れも目立つようになり、通れない道がたくさんありました。信じられない、というか…電柱が横を向いていたり、家が崩れていたり、町の景色は一変していて、施設のグラウンドを見たときに「これはしばらく無理だ」と。温泉街の旅館もダメージが大きく、かなりショックを受けました。


能登半島地震では七尾市でも甚大な被害が発生。和倉温泉と能登島の施設も、地割れや隆起によって使えない状況になった

――苦しさ、難しさがあったと思います。

吉田 先のことを考えられる状況ではありませんでした。水が出ない、トイレができない、冬なのに着る物もないなど、町のみんなが困っていたのでSNSを通じてすぐに支援物資のお願いを発信しました。金沢市にも事務所があるのですが、そこにたくさんの支援物資が寄せられ、七尾市に支援物資を車で届ける。しばらくはそんな日々が続きました。

――地元の皆さんはどのような思いだったのでしょうか。

吉田 旅館関係のみんなは「もう辞めるしかない」「もう無理だろう」という声がかなり多かったです。建物の損傷も大きく修復するお金もないし、復旧してもお客さんが来てくれるかは分からない。不安はいっぱいで、そう思っても仕方ない状況でした。ただ、私自身は、絶対に復活できるし、七尾市のみんなのためにも施設を復活させなければいといけないと思っていました。

――信じて動かれていたのですね。

吉田 スポーツが持つパワーの大きさは、それまで何度も感じたことがありましたし、何より和倉温泉に来たことのある全国の皆さんから本当にすごい数の支援物資が集まっていたんです。多くのチームの監督や選手の皆さんからも、励ましのメッセージや手紙をもらいました。「この力があれば絶対に復活できる」と。たくさんの人が応援してくれているからこそ、もう一度やろうと思えましたし、今もそれが力になっています。

――お客様はスポーツを共に楽しむ「仲間」なんだ、という石川スポーツキャンプの姿勢が、結びつきをより強くしているのかもしれません。

吉田 うちの施設は少し変わっているんですよね。お客様であると同時に、お客様も一緒にスポーツを楽しむ仲間という思いが、スタッフみんなに浸透しています。ですから、施設の受付でも、ただ受付のやりとりをするだけではなくて、誰かが来ると前に出て「○○さん、こんにちは」とあいさつして握手をする。仕事や家族のことなど世間話もしますし、時には悩みも聞きます。和倉温泉の皆さんも全国から訪れる人たちを迎え入れる環境をつくってくれ、家族のように触れ合う。そんな温かい場所なんです。

防災機能や新たな魅力が備わった施設として復活させ、地域活性化へ

――復興・復旧に向けてどのように動かれたのでしょうか。

吉田 サッカー界、スポーツ界の支援を広げる活動はすぐに始めました。先ほどお伝えしたSNSでの発信だけではなく、各所に赴いて支援のお願いをするなど、2~3カ月はとにかく周囲の人を巻き込もうと動き回りました。そのうちクラウドファンディングを企画・提案してくれる人が現れ、実際にたくさんの支援をいただきました。その時に感じたことは、こちらが動けば支援し、応援してくれる人が必ずいるということ。まずは発信して動くことが大事なのだと思いましたし、皆さんの支援に本当に感謝しています。


地震発生後の状況。「旅館では選手のための料理を用意し、地域の人々もコインランドリーを作り、
バスを止められるよう駐車場を拡張してくれた」(吉田さん)。地域のためにも施設復旧に力を注ぐ

――サッカーファミリーのつながりやスポーツの持つ力について、あらためて感じられていることは?

吉田 日本サッカー協会(JFA)も石川県サッカー協会も、継続して復興支援に取り組んでくださっています。代表戦の試合会場での募金活動もそうですし、代表選手たちは試合後に「がんばろう能登」というバナーを持って発信してくれている。昨年7月にも、なでしこジャパン(日本女子代表)の「MS&ADカップ2024~能登半島地震復興支援マッチ がんばろう能登~」が金沢で開催されましたが、代表戦という大舞台で発信してくれることは、われわれの大きな力になるんです。

サッカー選手やアスリートの皆さんも、現役、OB/OG問わず、能登半島の各園や小中学校を訪問する活動をずっと続けてくださっています。アスリートの持っているパワーって不思議だなと感じるんです。アスリートと一緒に体を動かしたり、会話したりする中で子どもたちはどんどん笑顔になって楽しそうにしていて、それを見ている保護者や先生も元気をもらえる。こういう時だからこそスポーツが必要で、それが未来への力になっていくのだと実感しています。


吉田さんは、SAMURAI BLUEやなでしこジャパンの代表戦で「がんばろう能登」のメッセージを見ると
「すごく励みになる。こうした活動を広げていくことが大事だと思う」と話す

――施設の復旧について状況はいかがですか。

吉田 能登島のグラウンドは来年3月、和倉温泉は2027年3月に復旧工事が終わる予定です。まずは人工芝とその下のアスファルトをすべて撤去し、敷き直す工事をしていきます。ただ、元通りに戻すだけでは意味がないと思っていて、震災をきっかけに新しい機能や役割を備えた施設になればと思っています。

――新たな機能ですか。

吉田 震災直後に課題だったのは、避難場所としては狭く、支援物資もしっかりと保管できないことでした。そのため、防災機能を持たせた屋内スポーツ施設は不可欠だと考えています。近年の気候温暖化を踏まえると、合宿地として熱中症対策も重要になりますから、これまでナイター設備がなかったグラウンドにも整備し、夜も使えるように改修してもらえたらと思っています。

――新たな魅力が備わった場所になっていくのですね。

吉田 イベントができるような観客席を備えた会場もつくれたらと思っています。これまではスポーツの大会やフェスティバルを中心に開催していましたが、いろいろな人の力や知恵をお貸しいただきながらハード面もソフト面も充実させ、たくさんの人に来てもらえる仕組みをつくっていきたい。町の人たちも少しずつ前を向き始めていますが、時間がかかりすぎるとまた不安が色濃くなっていきます。観光地の和倉温泉が元気にならないと七尾市も全体が活性化していかないので、少しでも早く人が来る場所にしていきたいですね。


石川スポーツキャンプのスタッフの皆さん(前列中央が吉田さん)。「地域の皆さんの支えがあって合宿や大会ができていた。
また多くの人が来るように1日でも早く大会を開催して地域を活性化させたい」と吉田さん

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