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【スペシャル対談】長谷部誠選手×内田篤人氏 天皇杯 JFA 第100回全日本サッカー選手権大会

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2020年12月03日

【スペシャル対談】長谷部誠選手×内田篤人氏 天皇杯 JFA 第100回全日本サッカー選手権大会

共に日本とドイツでカップ戦を制したほか、数々のタイトルを獲得してきた長谷部誠選手と内田篤人氏。長く日本サッカーをけん引してきた二人に、それぞれの天皇杯の思い出を振り返ってもらいました。

オンライン取材日:2020年11月9日

──お二人は天皇杯で優勝を経験しています。印象深い試合も多いのではないですか。

長谷部 やはり決勝戦ですね。一年の始まりの元日に、満員の国立競技場でプレーするのは特別な雰囲気がありました。何ものにも代えがたい高揚感を覚えています。大みそかからホテルに前泊をするのですが、紅白歌合戦を部屋で見ながら、翌日の試合に備えたことも思い出します。

内田 元日の国立競技場で決勝戦、というのがいいんですよね。スケジュールにもよるけれど、準々決勝や準決勝で負けてしまうと、シーズンオフが短くなる上に結果も得られないから、それはもう悔しかったですね。

──2006年度の鹿島アントラーズは、準決勝で長谷部選手が在籍していた浦和レッズに1-0で敗れました。

内田 僕はその試合に出ています。

長谷部 内田はプロ1年目だったの?

内田 そうです。

長谷部 そのシーズンのJリーグでの対戦では、僕も内田も2試合とも出ているよね。でも、僕は天皇杯の鹿島戦は出られなかったんだ。準々決勝は先発したんだけど、準決勝はけがをしていて出られなかった。決勝も後半途中からの出場だった。

内田 06年はリーグ戦も天皇杯も、鹿島は浦和に勝てなかったんですよ。

長谷部 浦和はリーグ戦で優勝して、天皇杯も獲得したからね。

内田 でも翌シーズンは、鹿島がリーグ戦と天皇杯で優勝しましたけどね(笑)。リーグ戦は09年まで3連覇です。

長谷部 鹿島が強かったのは認めるよ(笑)。

──長谷部選手は浦和レッズの一員として、05年度の第85回大会と06年度の第86回大会で優勝しています。

長谷部 05年は浦和レッズというクラブになってから初めての天皇杯優勝だったこともあり、すごく印象に残っています。大宮アルディージャとの準決勝も国立競技場で行われて、僕は2ゴールしています。

──延長戦で決めた自身2点目は、鮮やかなドリブルシュートでした。

長谷部 あの頃はドリブルで上がってゴールに絡んでいました。今ではどんどんポジションが下がっていますが(笑)。

内田 僕は決勝でゴールを決めていますよ。07年度の第87回大会のサンフレッチェ広島戦。2-0で勝った試合の先制点です。良いシュートだったな。

長谷部 どういうシュート?

内田 右サイドからワンツーパスで抜け出して、ペナルティーエリア右から右足で逆サイドネットに強いシュートを突き刺しました。

長谷部 右足のシュート……ああっ、覚えているよ。確かに良いシュートだったよね。天皇杯決勝で勝って、自分が点まで決めたら、1年のスタートとしては最高だね。

内田 本当にそうですよ。帰りは気持ち良かったなあ。そこからすぐにシーズンオフですからね。

長谷部 試合後は実家に帰ったの?

内田 その日のうちに、車で静岡へ帰りました。自分が得点して優勝もできたあの天皇杯は、今でも印象に残っている大会の一つです。歴史ある大会の1ページに自分たちのチームが名前を刻めるのは、すごく名誉なことですし。天皇杯は今年度で100回目ですよね。

──ドイツサッカー連盟(DFB)の国内カップ戦、通称DFBポカールよりも歴史は長いです。

長谷部 天皇杯とポカールの共通点として、ノックアウト方式ならではの波乱があります。浦和に在籍していた当時には、大会の1試合目で負けたことがありました。ポカールでもカテゴリーが下のチームがものすごく高いモチベーションで向かってくるので、ジャイアントキリングが起こりやすいんです。

──昨年度の第99回大会から、決勝の会場は新装なった国立競技場に戻りました。

内田 鹿島は決勝まで勝ち進んだのですが、優勝を逃してしまいました。僕は、ベンチ入りはしましたが試合には出られなかったので、悔しかったですね。

長谷部 新しい国立競技場の雰囲気はどうだったの?

内田 やっぱりいいな、と感じました。元日の国立競技場ならではの、独特の空気感ってあるじゃないですか。

長谷部 あるね。分かる、分かる。

内田 お客さんもほぼ満員だったと思います。話をしていたら、悔しさが甦ってきましたよ。

長谷部 それが天皇杯だよね(笑)。今年度で100回という数字が示しているように、伝統ある素晴らしい大会になっているよね。選手側からすれば、元日にプレーできる喜びは本当に大きなものがある。日本社会に影響を与えることのできる大会だと思うので、サッカーの力を日本中に見せてほしい。

内田 まずはコロナ禍の中で、天皇杯が決勝まで安全に開催されてほしいですし、新しい年になった最初の試合である天皇杯決勝が、「サッカーは素晴らしいな」と思える戦いになることを期待しています。その試合を見た子どもたちが「サッカー選手になりたい」と思ってくれて、世界に追いつき、追い越せるような選手が出てきてほしいですね。

両名によるスペシャル対談は、大会公式プログラムに掲載されています。

プロフィール

長谷部 誠(はせべ まこと)
1984年1月18日生まれ、静岡県出身
アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)所属
国際Aマッチ114試合出場、2得点
2002年に浦和レッズに加入し、J1リーグ、天皇杯、Jリーグカップ、AFCチャンピオンズリーグなど多くのタイトルを獲得。08年から活躍の場をドイツに移すと、VfLヴォルフスブルク所属の08-09シーズンにブンデスリーガ1部優勝、フランクフルト所属の17-18シーズンにドイツカップ優勝を経験。SAMURAI BLUE(日本代表)では歴代最多となる81試合でキャプテンを務めた。

内田 篤人(うちだ あつと)
1988年3月27日生まれ、静岡県出身
国際Aマッチ74試合出場、2得点
2006年に鹿島アントラーズに加入し、J1リーグ3連覇や天皇杯優勝などに貢献。10年にドイツのFCシャルケ04に移籍すると、同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでクラブ史上初、また日本人初となるベスト4進出を果たす。同シーズンにはドイツカップも制覇。鹿島復帰後の18年にはAFCチャンピオンズリーグで優勝。20年8月に選手生活を引退し、同9月に日本サッカー協会が新設したロールモデルコーチに就任した。

【1回戦】9月16日(水)
【2回戦】9月23日(水)、30日(水)
【3回戦】10月28日(水)、11月11日(水)
【4回戦】12月12日(土)、13日(日)
【5回戦】12月20日(日)
【準々決勝】12月23日(水)
【準決勝】12月27日(日)
【決勝】2021年1月1日(金・祝)

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