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JFA会長 田嶋幸三 ✕ Jリーグチェアマン 村井満「令和対談」
Japanese football history
  1. 1
    平成
    1. 1月
      フットサル日本代表が第1回FIFA5人制室内サッカー選手権(現FIFAフットサルワールドカップ)に出場
    2. 6月
      JFAにプロリーグ準備検討委員会を設置
      日本サッカーリーグ(JSL)はリーグを活性化させてサッカーのレベルアップを図ろうと88年に「JSL活性化委員会」を立ち上げて議論を開始。複数回の会議を経て翌89年の3月にJSL評議会に「日本サッカーリーグの活性化案」を提出した。同評議会では賛同は得られなかったことから、議論の場を日本サッカー協会( JFA )に移す。JFAにプロリーグ準備検討委員会が設置されたことによってプロリーグ設立へと大きく動き出す。
    3. 9月9日
      日本女子サッカーリーグ開幕
      現在のなでしこリーグはこの年に始まった。リーグに参加したのは、読売サッカークラブ女子・ベレーザ、新光精工FCクレール、日産FCレディース、清水FCレディース、プリマハムFCくノ一、田崎真珠神戸レディースの6チーム。読売の高倉麻子(現なでしこジャパン監督)が記念すべきリーグ1点目をマークした。
    4. 11月
      2002FIFAワールドカップの開催国として正式に立候補を表明
  2. 2
    平成
    1. 3月
      プロリーグへの参加条件を決定
    2. 8月
      プロリーグ参加希望団体(20団体)に対し、ヒアリングを実施(91年1月まで3次にわたって実施)
    3. 8月25日
      三浦知良(カズ)が日本デビュー
      プロ化まであと2年。「日本をワールドカップに出場させるために帰ってきた」。読売サッカークラブ(東京ヴェルディの前身)に加入する際の会見でこう語ったカズは、第15回JSLカップの住友金属工業戦でデビュー。同年、JSLの第26回大会でブラジル仕込みのテクニックを披露し、Jリーグ人気の火付け役となった。ちなみに、デビュー時の背番号は11ではなく「24」だった。
  3. 3
    平成
    1. 2月14日
      プロリーグ参加10団体が決定
      この日開催されたJFA理事会の承認を受け、プロリーグに参加する10団体(鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原、浦和レッドダイヤモンズ、ヴェルディ川崎、横浜マリノス、横浜フリューゲルス、清水エスパルス、名古屋グランパスエイト、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島/名称はいずれもJリーグ開幕当時)が決定した。
    2. 6月
      2002年ワールドカップ招致委員会発足
    3. 7月
      プロサッカーリーグ正式リーグ名称とロゴマークを発表
    4. 11月
      社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立。川淵三郎がJリーグ初代チェアマンに就任
      日本女子代表が第1回FIFA女子世界選手権(現FIFA女子ワールドカップ)に出場
  4. 4
    平成
    1. 3月13日
      日本代表初の外国人監督にハンス・オフトが就任
      「プロ選手を束ねるにはアマチュアの監督では限界がある」。JFAの川淵三郎強化本部長(Jリーグチェアマン)が白羽の矢を立てたのが、JSLのヤマハ発動機(ジュビロ磐田の前身)やマツダSC(サンフレッチェ広島の前身)のコーチを務めたハンス・オフトだった(当時はオランダのFCユトレヒトのゼネラルマネージャー)。同監督の明確な戦術とチーム力強化により、日本は急速にレベルアップ。アジアで存在感を示し始める。
    2. 5月
      プロチームとプロ選手の指導資格となる公認S級コーチライセンスを創設
    3. 9月〜11月
      Jリーグの前哨戦となるJリーグヤマザキナビスコカップ(現JリーグYBCルヴァンカップ)開催
    4. 10月〜11月
      悲願のアジア初制覇
      8月のダイナスティカップで優勝した日本代表は、続くアジアカップで2分けスタートからイランとのグループステージ第3戦をものにすると、決勝トーナメントで中国、サウジアラビアを立て続けに破って初優勝。地元・サンフレッチェ広島に所属する高木琢也が6万人の観衆を前に決勝点を挙げ、日本サッカーの成長を印象付けた。
  5. 5
    平成
    1. 5月15日
      Jリーグ開幕。国立競技場で開会宣言
      国立競技場で行われた横浜マリノス対ヴェルディ川崎との開幕戦。V川崎のマイヤーがJリーグ初ゴールを挙げた。企業スポーツからの脱却を図り、地域に根差したスポーツクラブをつくろうという理念は、それまで企業スポーツと学校体育で発展してきた日本のスポーツ界に大きな風穴を開け、日本にサッカーブームを巻き起こした
    2. 8月
      日本でFIFA U -17世界選手権(現FIFA U-17ワールドカップ)を開催
    3. 10月28日
      ワールドカップの切符を逃す
      FIFAワールドカップアメリカ’94アジア地区最終予選、イラクとの最終戦に引き分けて3位に転落し、本大会出場を逃す。“ドーハの悲劇”と言われたこの試合の視聴率(テレビ東京)はサッカー界始まって以来の48.1%を記録。サッカーの怖さを突きつけられた試合だったが、「夢のまた夢」だったワールドカップはここから「目指すべき目標」になった。
    4. 「Jリーグ」が流行語大賞を受賞
  6. 6
    平成
    1. 9月
      U-19日本代表が第29回アジアユース(U -19)選手権(現AFC U -19選手権)で準優勝。自国開催で初出場した79年大会以来のFIFAワールドユース選手権出場を決める
    2. 10月
      広島で第12回アジア競技大会を開催
    3. 10月〜11月
      U-16日本代表が第6回アジアユース(U-16)選手権(現AFC U -16選手権)で初優勝
  7. 7
    平成
    1. 1月17日
      阪神・淡路大震災発生
    2. 6月
      イングランドサッカー協会の招待を受け、ブラジル、スウェーデンと共にアンブロカップに参加
    3. 6月
      全ての国内大会に「フェアプレー賞」を設けることを決定
    4. 6月13日
      日本女子代表、世界大会で8強入り
      日本は第2回FIFA女子サッカー世界選手権(現FIFA女子ワールドカップ)で8強入りし、女子サッカーが正式種目となるアトランタオリンピックの出場権を獲得した。準々決勝ではアメリカに敗れた。
    5. 8月30日
      国立競技場で阪神・淡路大震災チャリティーFIFAオールスターマッチ開催
  8. 8
    平成
    1. 2月
      第1回全日本フットサル選手権(現JFA 全日本フットサル選手権大会)がスタート
    2. 5月31日
      2002年のワールドカップ、日本と韓国の共催決定
      2002FIFAワールドカップが日本と韓国の共催になることが決まった。アジア初、そして大会史上初の共同開催。
    3. 7月21日
      アトランタオリンピック、
      U-23日本代表がブラジルを破る大金星
      28年ぶりのオリンピック出場を果たしたU-23日本代表はグループステージ第2戦で優勝候補のブラジルを破る“マイアミの奇跡”を起こすが、2勝1敗で8強入りならず。日本女子代表もグループステージ敗退。
    4. 7月21日
      天皇杯が47都道府県代表制へ、第2種にも出場資格
      9地域代表制から47都道府県代表制となって初の天皇杯全日本サッカー選手権大会。第1種登録チームが増加して天皇杯が狭き門になり、試合を開催できる会場が増えたことを受けて大幅な改革を図った。また、第2種登録チームの参加も可能になった(※)。
      ※第2種登録チームに出場資格があったのは第94回大会まで
  9. 9
    平成
    1. 6月
      個人の能力を伸ばす新制度を策定
      強化指定選手制度(現 特別指定選手制度)を策定した。当時は高校生が対象だったが、現在は所属チーム(大学または高校等)に登録したまま、受入先のJクラブの選手としてJリーグ等の公式試合に出場できる。
    2. 6月28日
      井原正巳が日本人初の国際Aマッチ100試合出場
      FIFAワールドカップフランス’98アジア地区1次予選のオマーン戦で井原正巳が日本人で初の国際Aマッチ100試合出場を達成した。日本は1次予選を無敗で通過。
    3. 7月20日
      Jヴィレッジがオープン
      日本初のサッカーナショナルトレーニングセンター、Jヴィレッジ(福島)がオープン。日本代表の合宿やJFAアカデミー福島の活動拠点として使用された。東日本大震災により、2011年3月から営業停止となったが、18年7月より部分的に再開し、19年4月20日に全面オープンした。
    4. 11月16日
      “ジョホールバルの歓喜”
      悲願のワールドカップ出場決定
      カザフスタンとの最終戦を5-1で勝利してアジア第3代表を決するプレーオフに望みをつないだ日本は、イランを延長Vゴールで下して悲願のFIFAワールドカップ出場権を手にした。
    5. 12月
      財団法人2002年ワールドカップサッカー大会日本組織委員会(JAWOC)設立
  10. 10
    平成
    1. 4月
      4級審判員の資格取得条件を18歳以上から「12歳以上」に、3級審判員を「15歳以上」に引き下げ
    2. 6月26日
      中山雅史がワールドカップ初ゴール
      初めて立ったFIFAワールドカップ(フランス)の舞台。第3戦のジャマイカ戦、74分に中山雅史が初得点を挙げる。日本は、グループステージ3戦全敗の洗礼を浴びたが、世界のひのき舞台に大きな足跡を残した。なお、同大会で岡田正義が主審を務めた。
    3. 11月1日
      ジャパンフットボールリーグ閉幕
      ジャパンフットボールリーグが1998シーズンをもって閉幕。1999シーズンからのJリーグ2部制に伴い、プロとアマチュアチームが混在していたリーグは7年間の歴史に終止符が打たれた。翌年、アマチュアリーグの最高峰となる日本フットボールリーグ( JFL )がスタートした。
    4. 11月
      Jヴィレッジで第1回フットボールカンファレンスを開催
  11. 11
    平成
    1. 2月
      横浜マリノスと横浜フリューゲルスが合併
      長引く不況のあおりを受け、横浜をホームタウンとする横浜マリノスと横浜フリューゲルスが合併。他にもヴェルディ川崎(当時)とベルマーレ平塚(現 湘南ベルマーレ)の一部出資企業が撤退し、クラブ経営の危機が叫ばれた。
    2. 3月
      Jリーグ、1・2部制導入。J1リーグ16チーム、J2リーグ10チームで7年目のシーズン開幕
    3. 4月
      審判員総合登録制度スタート
      第1回日本フットボールリーグ(JFL)が9チームでスタート
    4. 4月24日
      ワールドユースでU-20日本代表が準優勝
      日本代表監督を兼任するフィリップ・トルシエ監督率いるU-20日本代表は、第10回FIFAワールドユース選手権(ナイジェリア)でカメルーンとの初戦に黒星発進もその後は2連勝して決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント1回戦でポルトガルをPK戦で退けると、準々決勝でメキシコ、準決勝でウルグアイを破って初の決勝へ。決勝ではスペインに0-4で敗れた。
    5. 6月〜7月
      南米サッカー連盟の招待を受け、コパアメリカ’99に参加
    6. 12月1日
      アジア各国に日本人指導者を派遣
      アジア貢献事業の一環として日本人指導者の派遣がスタート。以来、延べ100人以上の指導者や審判指導者らを各国に送り出している(2019年4月1日現在)。
  12. 12
    平成
    1. 4月
      シニアの登録制度開始、全国大会などを新設
    2. 9月23日
      シドニーオリンピック、U-23日本代表がベスト8に
      2大会連続出場となるシドニーオリンピックで南アフリカとスロバキアから勝利を挙げ、グループステージを突破。準々決勝でPK戦の末、アメリカに敗れたが、若き日本代表の活躍は2年後に迫ったワールドカップへの期待を高める結果となった。
    3. 9月28日
      シドニーオリンピックの女子決勝で
      吉澤久惠が副審を務める
      シドニーオリンピックに唯一の日本人審判員として参加した吉澤久惠が女子サッカー決勝(ノルウェー対アメリカ)で副審を務めた。FIFA主催の世界大会の決勝に指名されるのは日本人初。決勝を含め4試合を担当した。
  13. 13
    平成
    1. 3月
      toto(スポーツくじ)の全国販売がスタート
    2. 5月〜6月
      コンフェデレーションズカップで準優勝
      FIFAコンフェデレーションズカップが日本と韓国で開催された。日本代表はグループステージで強豪ブラジルに引き分けるなど2勝1分けで突破。準決勝では中田英寿の1点を守り切り、オーストラリアを退けてFIFA主催大会で初の決勝へ。決勝ではフランスの攻撃力の前に0-1と敗れたが、2002年FIFAワールドカップを前に存在感を示した。
  14. 14
    平成
    1. 2月
      審判員のプロフェショナル契約を導入
      JFAはレフェリーとプロフェッショナル契約をするスペシャルレフェリー制度(現プロフェッショナルレフェリー制度)を新たに導入した。
    2. 5月31日

      6月30日
      2002FIFAワールドカップ日本/韓国を開催
      アジア初のFIFAワールドカップを韓国と共同開催した。日本はグループステージ第2戦でロシアに1-0、ワールドカップ初勝利を挙げる。2勝1分けで決勝トーナメントに進出し、ラウンド16でトルコに0-1と惜敗。大会史上初の共催となった同大会は日韓の友好関係を深めるとともに、日本中がサッカー一色となり、開催地やキャンプ地などでは温かな交流が育まれ、「笑顔のワールドカップ」と称された。
    3. 8月
      小倉純二副会長(当時)がFIFA理事(現FIFAカウンシルメンバー)に就任
      初のFIFA U-19女子世界選手権でベスト8
      第1回FIFA U-19女子世界選手権(現FIFA U-20女子ワールドカップ)がカナダで開催され、U-19日本女子代表がアジア女王として出場した。FIFAの大会新設により女子の年代別強化が本格的にスタートする。
    4. 10月9日
      「キャプテンズ・ミッション」策定
      サッカーの普及と強化を目的とした9項目(当時)の重点施策からなる「キャプテンズ・ミッション(後にプレジデンツ・ミッション)」を策定。都道府県サッカー協会と連携しながら、サッカーファミリーの拡大と日本サッカーの基盤に取り組む。
    5. 11月21日
      JFA名誉総裁の高円宮憲仁親王殿下薨去
    6. W杯(中津江村)が流行語大賞を受賞
  15. 15
    平成
    1. 3月21日
      高円宮妃久子殿下が名誉総裁に就任される
    2. 3月15日
      JFAプリンスリーグU-18がスタート
      2002年12月のJFA理事会で「都道府県における2・3種年代リーグの積極展開」が発表され、ユース年代の改革に着手。その一環として、第2種(U- 18)では新たに地域の公式リーグ戦「JFAプリンスリーグU-18」が発足した(名称はJFA名誉総裁を務められた高円宮殿下に由来)。
    3. 4月
      フットサル個人登録制度開始
    4. 4月
      JFAキッズプログラム、JFAエリートプログラムがスタート
    5. 4月
      JFAエリートプログラムが始動
      ユース改革の取り組みの中で新設された「JFAエリートプログラム」の第1回が4月27日~5月2日、Jヴィレッジ(福島)で開催され、全国から選出されたU-14・U-13の選手30人が参加。世界基準を目指す選手の育成が本格的にスタートした。
    6. 9月
      日本サッカーの新拠点、JFAハウスが東京都文京区に誕生
    7. 12月
      日本サッカーミュージアムがオープン(JFAハウス内)
  16. 16
    平成
    1. 4月
      JFA公認指導者登録制度を導入
    2. 5月20日
      FIFA100周年功労賞の「ファン」カテゴリーで
      日本と韓国が共同受賞
      FIFA100周年記念総会(パリ/フランス)で功労賞が発表され、日本と韓国のサポーターが「ファン」部門で共同受賞。長沼健最高顧問がFIFA100周年記念功労賞を受賞した。
    3. 7月7日
      日本女子代表の愛称が「なでしこジャパン」に決定
      アテネオリンピックに向けて日本女子代表の愛称を公募することが決まり、この年の5月15日~6月20日にかけて募集。応募総数約2,700通の中から選考され、「なでしこジャパン」に決定した。
    4. 8月11日

      19日
      アテネオリンピック、男女共にメダル獲得ならず
      第28回オリンピック競技大会(2004/アテネ)で男子は1勝2敗でグループステージ敗退、女子は初戦のスウェーデン戦でオリンピック初勝利を飾ったが、準々決勝でアメリカに2-1で敗れた。
    5. 9月
      スーパー少女プロジェクトがスタート
      未来のなでしこジャパンのゴールキーパー(GK)を発掘し育成するスーパー少女プロジェクト(現 女子GKキャンプ)がスタートした。主にU-15年代の選手を対象に実施。
    6. 10月23日
      新潟県中越地震
    7. 12月
      「新潟県中越地震復興支援チャリティーマッチ がんばれ新潟!」を開催
  17. 17
    平成
    1. 1月1日
      「JFA2005年宣言」日本サッカーの進むべき方向を明示
      2005年元日、第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会の決勝戦が行われる国立競技場で、会長だった川淵三郎キャプテンが「DREAM ~夢があるから強くなる」をスローガンに『JFA2005年宣言』を行った。そこでJFAの理念、ビジョン、達成目標を発表し、「JFAの約束2015 」と「JFAの約束2050」の二つの中長期目標を掲げた。2015年には10年間の取り組みを総括し、新たに「JFAの目標2030」を設定した。
    2. 4月27日
      U-17日本女子代表、初代アジアチャンピオンに輝く
      AFC U-17女子サッカー選手権大会の第1回が韓国の南海(ナムへ)で開催された。U-17日本女子代表は、グループステージで64得点無失点と圧倒的な力を見せて決勝トーナメントに進出。準決勝では地元・韓国を4-0で、決勝ではPK戦の末に中国を破り、初代優勝チームとなった。
    3. 5月8日
      ~15日
      砂上のサムライが衝撃デビュー
      初のFIFAビーチサッカーワールドカップがリオデジャネイロで開催された。日本も招待を受け、ビーチサッカー日本代表を編成して臨んだ。ラモス瑠偉監督が指揮を執ったチームは1勝1敗でグループステージを突破すると、準々決勝でウルグアイを撃破。フランスとの準決勝、ブラジルとの3位決定戦では世界の高い壁に阻まれたが、世界の舞台に確かな一歩を踏み出した。
    4. 5月
      日本サッカー殿堂を創設
    5. 12月11日
      ~18日
      FIFAクラブワールドカップ開催。世界のトップレベルを体感
      FIFAクラブワールドチャンピオンシップ トヨタカップジャパン2005(FIFAクラブワールドカップの前身)が日本で開催された。国立競技場(東京)、豊田スタジアム(愛知)、横浜国際総合競技場を舞台に全7試合が行われた。決勝は、南米王者のサンパウロFC(ブラジル)がヨーロッパチャンピオンのリバプールFC(イングランド)を下して世界一の称号を手にした。
  18. 18
    平成
    1. 1月
      「SAMURAI BLUE2006」で世界大会へ
      日本代表が2006FIFAワールドカップドイツに臨むにあたり、JFAは、「2006日本代表新キャッチフレーズ」を決めることとし、「SAMURAI BLUE2006 」「Make the HISTORY 」「世界を驚かせよう。」「頂点へ、全員で。」「WIN NOW!」の5つのワードを提示してサポーター投票を実施。その結果、「SAMURAI BLUE2006」が、2位の「Make the HISTORY」を2倍以上引き離し、1位を獲得した。大会後、JFAは「SAMURAI BLUE」を日本代表チームの愛称として使用することを決めた。
    2. 4月
      JFAアカデミー福島が開校
      JFAはサッカーによる真の国際人の育成を目指すため「JFAアカデミー福島」を開校した。JFAアカデミーはロジングによるエリート教育機関で、この年、第1期生40人が新生活をスタートさせた。福島校を皮切りに、熊本宇城(2009年~)、堺(大阪府/2012年~)、今治(愛媛県/2015年~)でJFAアカデミーが開校した。
    3. 6月22日
      3度目のワールドカップ 1勝が遠く、グループステージで敗退
      2002年大会を上回る成績が期待された2006FIFAワールドカップドイツ。ジーコ監督が率いる日本は、グループステージ初戦のオーストラリア戦で中村俊輔のゴールで先制したが、試合終盤に3失点。逆転で初戦を落とし、その後もクロアチア(0-0)に引き分け、ブラジル(1-4)に敗れ、1勝も挙げることができずに大会を後にした。同大会で上川徹主審、廣嶋禎数副審が3位決定戦を含む3試合を担当した。
    4. 10月
      国民体育大会で少年男子の対象年齢を「18歳以下」から「16歳以下」に引き下げ
  19. 19
    平成
    1. 4月19日
      JFAこころのプロジェクト「夢の教室」始まる
      サッカー選手をはじめ、各競技のアスリートらを”夢先生(ユメセン)”に、全国の小学校で「夢の教室」を開始。
    2. 4月
      JFAグリーンプロジェクトが発足
    3. 6月
      女子サッカー発展のための「なでしこvision」を策定
    4. 9月17日
      なでしこジャパン、ベスト8進出へわずかに届かず
      大橋浩司監督率いるなでしこジャパンはFIFA女子ワールドカップ中国2007のグループステージでイングランド、アルゼンチン、ドイツと対戦。1勝1分け1敗と健闘するもグループステージ突破はならず、準々決勝進出はかなわなかった。
    5. 9月23日
      「Fリーグ」開幕
      日本最高峰のフットサルリーグが国立代々木競技場第1体育館で幕を開けた。初代王者は名古屋オーシャンズ、最優秀選手(MVP)には森岡薫(名古屋)が選ばれた。
    6. 12月
      TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ ジャパン2007開催
    7. 12月16日
      浦和レッズが世界3位に輝く
      浦和レッズが、世界一を決するTOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ ジャパン2007にアジア王者として出場した。準決勝ではACミラン(イタリア)に0-1で惜敗するも、3位決定戦ではエトワール・サヘル(チュニジア)をPK戦の末に撃破。日本勢初の3位に輝いた。翌年の大会ではガンバ大阪が3位となり、2年連続で日本サッカーの力を示した。
  20. 20
    平成
    1. 8月
      北京オリンピック、なでしこジャパンがメダルに肉薄
      北京オリンピックでなでしこジャパンが躍進した。グループステージは1勝1分け1敗ながら3位の上位成績チームとして決勝トーナメントに進出。開催国の中国と激突した準々決勝では澤穂希、永里優季のゴールで勝利を収めた。初の準決勝でアメリカ、3位決定戦でドイツに敗れたが、4位に入賞し新しい歴史をつくった。一方の男子はグループステージ3戦全敗と悔しい結果に終わった。
  21. 21
    平成
    1. 4月
      「JFAアカデミー熊本宇城」を開校
    2. 8月
      Jヴィレッジ内にスポーツ医療施設「JFAメディカルセンター」が誕生
  22. 22
    平成
    1. 4月
      大阪府堺市サッカーナショナルトレーニングセンター(J -GREEN堺)がオープン
    2. 6月24日
      FIFAワールドカップ南アフリカ、SAMURAI BLUEが再び16強に
      2010FIFAワールドカップ南アフリカに出場したSAMURAI BLUEは、グループステージではカメルーン、デンマークに勝利を収め、ラウンド16に進出。ラウンド16ではパラグアイにPK戦の末に敗戦を喫したが、自国開催となった2002年大会以来のベスト16入りを果たした。
    3. 9月
      若きなでしこたちが世界で飛躍
      U-17日本女子代表が、FIFA U-17女子ワールドカップ(トリニダード・トバゴ)で初の決勝に進出した。FIFAの主催大会では日本女子サッカー界として初。吉田弘監督の下、グループステージを2位で通過したチームは、準々決勝、準決勝で接戦を制し、決勝では韓国にPK方式で惜敗したが、最高成績となる準優勝をつかみ取った。
    4. 11月6・
      7日
      ビーチサッカー日本代表が国内初となる国際親善試合を実施
  23. 23
    平成
    1. 1月
      AFCアジアカップ(カタール)で4回目の優勝
    2. 3月11日
      東日本大震災
    3. 3月29日
      東日本大震災からの復興へ。カズ、希望を届けるゴール
      東日本大震災が発生後、PUMA CUP2011第16回全日本フットサル選手権大会が中断する他、Jリーグや日本フットボールリーグ、なでしこリーグなど国内大会が中止および開催延期となった。また、SAMURAI BLUEのキリンチャレンジカップ2011、U-23日本代表の国際親善試合といった代表活動も中止に。多くのサッカー活動が危ぶまれる中、JFAとJリーグは3月29日、東日本大震災の復興支援活動として、SAMURAI BLUE対JリーグTEAM AS ONEのチャリティーマッチを開催。その収益や募金活動で集まったお金を被災地に寄付した。試合では当時44歳の三浦知良(カズ)が見事にゴールを決めた。
    4. 4月
      高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権大会が全国リーグ方式に再編され、「高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグ」としてスタート
    5. 7月17日
      列島が感動の渦に。なでしこが世界の頂点に立つ
      なでしこジャパンが偉業を成し遂げた。FIFA女子ワールドカップドイツ2011。2勝1敗でグループステージを通過すると、準々決勝で地元のドイツを延長の末に退けてベスト4へ。勢いそのままにスウェーデンとの準決勝を制し、初めてファイナルの舞台に立った。決勝はアメリカに2度のリードを奪われながらも追いつき、PK戦で勝利。初の世界一に輝くと同時に、FIFAフェアプレー賞も獲得した。東日本大震災の被災地への思いを胸に戦った彼女たちの勇姿は世界から多くの称賛を浴び、遠く離れた日本にも歓喜と希望を届けた。
    6. 8月〜
      なでしこジャパンが国民栄誉賞を受賞。なでしこジャパンブームが日本を席巻
      初の世界一に日本が沸いた。なでしこジャパンは帰国後、日本中から祝福を受け、選手や監督たちは多くのメディアからも引っ張りだこになった。8月2日、日本政府は「国民にさわやかな感動と困難に立ち向かう勇気を与えた」として、なでしこジャパン(スタッフ含め)に団体では初となる「国民栄誉賞」授与を決定。また、世相を表す言葉を決める「2011年ユーキャン新語・流行語大賞」に「なでしこジャパン」が選ばれた。翌年に開催されたFIFAバロンドール2011で澤穂希が日本人初のFIFA女子年間最優秀選手賞を受賞した。
    7. 8月
      全日本少年サッカー大会が8人制に変更される
  24. 24
    平成
    1. 1月
      FIFAバロンドール2011で日本勢が3部門受賞(FIFA女子年間最優秀選手賞、FIFA女子年間最優秀監督賞、FIFA年間フェアプレー賞)
    2. 4月
      公益財団法人日本サッカー協会に組織変更
      JFAアカデミー堺が開校
    3. 7月21日
      被災地へのエール。復興支援試合にデル・ピエロ参戦
      東日本大震災で被災した茨城県立カシマサッカースタジアムで、復興支援の一環として東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチを開催。Jリーグ TEAM AS ONE対Jリーグ選抜で同リーグを代表する選手が集ったほか、元イタリア代表のアレッサンドロ・デル・ピエロ選手も来日し、Jリーグ TEAM AS ONEに加わった。
    4. 7~8月
      U-23日本代表となでしこジャパンが共にロンドンオリンピックに出場し、躍進
    5. 8月19日

      9月8日
      U-20日本女子代表が、自国開催のワールドカップで3位に入賞
      FIFA主催の女子大会が初めて日本で開催された。同年2月に日本開催が決定してから、急ピッチで準備が進められ、宮城、埼玉、神戸、広島、東京を舞台に戦いが繰り広げられた。「ヤングなでしこ」の愛称で同大会に出場したU-20日本女子代表は地元の声援を受け、3位に入賞。開催地を中心にレガシープログラムなども実施された。
    6. 10月
      宮内庁より皇后杯が下賜。全日本女子サッカー選手権大会の優勝チームに授与、大会名も変更
    7. 11月1日
      ~11日
      フットサルワールドカップにカズが参戦
      5月に行われたAFCフットサル選手権で、フットサル日本代表が4大会ぶり2度目の優勝を飾った。4度目の出場となった11月のFIFAフットサルワールドカップ(タイ)では、初めてグループステージを突破。ラウンド16で敗れたが、過去最高のベスト16で終えた。この大会では三浦知良(カズ)が同代表入りしたことも大きな注目を集めた。
    8. 12月
      TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップジャパン2012を開催
  25. 25
    平成
    1. 5月15日
      Jリーグが“二十歳”に
      1993年に開幕したJリーグが20周年を迎えた。開幕20周年を記念し、「Jリーグ20thアニバーサリーマッチ」や記念パーティーなど各種イベントを開催。また、20年前に開幕戦が行われた5月15日を「Jリーグの日」として日本記念日協会に登録した。
    2. 6月
      サッカーの活動現場における暴力根絶に向けて動き出す
      東日本大震災復興支援2013 Jリーグスペシャルマッチ開催
    3. 8月27日

      9月1日
      アジアのフットサルチームが集結
      アジアのフットサルクラブナンバーワンを決めるAFCフットサルクラブ選手権 日本 2013が愛知で開催された。アジアの強豪8チームが出場し、日本王者の名古屋オーシャンズは3位入賞を果たした。
    4. 11月
      女子サッカー普及施策「JFAなでしこひろば」がスタート
  26. 26
    平成
    1. 3月
      J3リーグ創設、Jリーグが3部制に
    2. 3月15日

      4月4日
      U-17日本女子代表が初の世界一
      高倉麻子監督(当時/現なでしこジャパン監督)の下、FIFA U-17女子ワールドカップコスタリカ2014に挑んだU-17日本女子代表は、グループステージから無敗を貫き、初の世界チャンピオンに輝いた。
    3. 5月
      「JFAグラスルーツ宣言」を発表
      なでしこジャパンがAFC女子アジアカップ(ベトナム)で初優勝
    4. 5月31日
      国立競技場のラストを彩る
      2020年の東京オリンピックに向けて建て替えられる国立競技場。その最後を飾るファイナルイベント「SAYONARA国立競技場FINAL“ FOR THE FUTURE”」が開催され、サッカーやラグビーのレジェンドマッチ、ファイナルセレモニーなどが行われた。あまたのドラマの舞台となり、“日本サッカーの聖地”とも言われた国立競技場の歴史に幕が下ろされた。
    5. 6月12日

      24日
      ブラジル大会、グループステージ敗退に終わる
      ブラジルで開催された2014FIFAワールドカップブラジルで、SAMURAI BLUE(日本代表)は1分け2敗でグループステージ敗退に終わった。国内では「夢を力に2014」を合言葉にさまざまな応援企画を展開。日本が一丸となってSAMURAI BLUEにエールを送り続けた。
  27. 27
    平成
    1. 1月
      初のJFAフットボールレフェリーカンファレンスを開催
    2. 3月
      サッカー関係者が大切にすべき価値観として「JFAバリュー」を策定
    3. 4月
      JFAアカデミー今治が開校
      一般財団法人日本ビーチサッカー連盟創設
      田嶋幸三副会長(現会長)が日本人4人目となるFIFA理事(現カウンシルメンバー)に選出
    4. 5月
      フットサル指導者資格の独立運用スタート
    5. 6月
      U-16インターナショナルドリームカップを新設
    6. 6月6日

      7月5日
      なでしこジャパン、3大会連続ファイナリストの快挙
      カナダで開催されたFIFA女子ワールドカップカナダ2015でなでしこジャパンが2011年大会に続いて決勝に駒を進めた。決勝ではアメリカに敗れたが、12年のロンドンオリンピックと合わせ、主要国際大会で3大会連続決勝進出の快挙となった。
    7. 7月29日

      8月2日
      トレセンU-12の選手と指導者に新たな刺激を
      トレセンシステムの新たな柱となる「JFAフットボールフューチャープログラム/トレセン研修会U-12」。47都道府県で活動するトレセンU-12の選手と指導者が集結し、対抗戦やトレーニングを実施した。ユース審判員の研修なども併催された。
    8. 9月
      フットサル日本女子代表が第1回AFC女子フットサル選手権に出場
    9. 12月
      FIFAクラブワールドカップジャパン2015を開催
  28. 28
    平成
    1. 1月
      「JFA Youth & Development Programme(JYD)」が始動
      U-23日本代表がAFC U-23選手権(カタール)で初優勝
    2. 2月29日

      3月9日
      なでしこジャパン、オリンピック出場を逃す
      リオデジャネイロオリンピック2016の出場権を懸けた女子サッカーアジア最終予選が大阪で開催された。なでしこジャパンは、ホームでまさかの予選敗退を喫した。
    3. 4月
      障がい者サッカーの7競技団体を統括する日本障がい者サッカー連盟が設立
      JFAグラスルーツ推進・賛同パートナー制度がスタート
    4. 4月14日
      熊本地震
    5. 7月20日
      JリーグとDAZNが長期契約。全試合が生中継に
      Jリーグが、Perform Groupが提供するスポーツのライブストリーミングサービス「DAZN(ダ・ゾーン)」と2017年から10年間にわたる約2100億円の放映権契約を締結した。この契約により、2017シーズンからJリーグの全試合が「DAZN」により生中継されることが決まった。
    6. 8月4日
      ~10日
      U-23日本代表、リオデジャネイロ。オリンピックで準々決勝進出ならず
      第31回オリンピック競技大会(2016/リオデジャネイロ)に出場したオリンピック日本代表はグループステージ初戦でナイジェリアに4-5と黒星スタート。第2戦ではコロンビアに2-2で引き分け、グループステージ突破を懸けた第3戦はスウェーデンに1-0と勝利したが、準々決勝進出には惜しくも届かなかった。
    7. 10月
      Fリーグ10周年記念オールスターゲーム開催
    8. 9月30日

      10月21日
      11月13日

      12月3日
      なでしこの妹分、二世代そろって世界のひのき舞台で好成績
      U-17日本女子代表とU-20日本女子代表がそれぞれ世界大会に挑み、FIFA U-17女子ワールドカップヨルダン2016では準優勝、FIFA U-20女子ワールドカップパプアニューギニア2016では3位入賞とそろって表彰台に上がった。
    9. 12月8日
      ~18日
      鹿島がレアル・マドリードを追い詰める
      世界一のクラブを決めるFIFAクラブワールドカップが日本で開催され、鹿島アントラーズがアジアのクラブとしては初の決勝戦に進出。決勝では、世界屈指のビッグクラブ、レアル・マドリード(スペイン)を相手に延長戦にもつれ込む激闘を展開した。延長の末に2-4で敗れたが、2得点を奪った柴崎岳を筆頭に、昌子源、植田直通といった若手の成長も注目を集めた。
  29. 29
    平成
    1. 1月
      フットサルA級コーチライセンスを新設
    2. 4月
      「トレセン認定制度」の運用を開始
      キリンチャレンジカップ2017〜熊本地震復興支援マッチ がんばるばい熊本〜開催
    3. 5月
      U-20フットサル日本代表が第1回AFC U-20フットサル選手権(タイ)に出場
      日本女子フットサルリーグ開幕
    4. 5月20日
      ~30日
      U-20日本代表が、10年ぶりに世界へ
      2016年10月のAFC U-19選手権(バーレーン)で初優勝し、5大会ぶりに世界への扉を開いたU-20日本代表がFIFA U-20ワールドカップ韓国2017に挑んだ。堂安律や冨安健洋を中心に奮闘したが、ラウンド16でベネズエラに屈した。
    5. 11月
      JFAブランド再構築、ビジュアルやアイデンティティーを刷新
    6. 11月25日
      浦和レッズが10年ぶりのアジア王者
      浦和レッズがAFCチャンピオンズリーグ2017決勝でアルヒラル(サウジアラビア)を下し、2007年以来2度目の優勝を飾った。日本勢としては2008年のガンバ大阪以来、9年ぶりのアジア制覇となった。
    7. 12月
      第1回JFA女子サッカーカンファレンスを開催
      EAFF E-1 サッカー選手権2017決勝大会を開催
  30. 30
    平成
    1. 3月
      海外では初となるキリンチャレンジカップin EUROPEを開催
    2. 4月
      AFC女子アジアカップ(ヨルダン)で2大会連続2度目の優勝
    3. 6月
      Fリーグが2部制を導入
    4. 6月14日

      7月2日
      初のベスト8進出はならずも、世界の背中を捕らえたロシア大会
      6大会連続出場となるFIFAワールドカップでSAMURAI BLUEが躍進した。西野朗監督の下、グループステージを2位で突破。ラウンド16では、同大会で3位に躍進したベルギーを相手に2点をリードする奮闘を見せる。残念ながら逆転負けを喫したが、日本のストロングポイントを発揮した戦いぶりは世界を驚かせ、海外メディアも「世界最高のチームを苦しめた」と評価した。
    5. 7月
      Jヴィレッジ(福島)が再始動
    6. 8月5日
      ~24日
      女子サッカー全世代でワールドカップ制覇
      FIFA U-20女子ワールドカップフランス2018に臨んだU-20日本女子代表が初優勝を飾った。この結果、日本は2011年FIFA女子ワールドカップ、2014年FIFA U-17女子ワールドカップを合わせて女子サッカーの全カテゴリーでワールドカップを制した初めての国となった。
    7. 10月
      U-18フットサル日本女子代表が第3回ユースオリンピック競技大会(2018/ブエノスアイレス)で銀メダル獲得
    8. 11月
      鹿島アントラーズがAFCチャンピオンズリーグ2018で優勝
    9. 12月
      2019年12月竣工予定のJFAナショナルフットボールセンター(仮称)の正式名称が「JFA夢フィールド」に決定
JFAの理念

サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、
人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する。

JFAの理念・ビジョン・バリュー