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第2回AFCメディカルアワード 日本のドクター4名が受賞

2019年03月14日

第2回AFCメディカルアワード 日本のドクター4名が受賞

第2回AFCメディカルアワードが3月6日(水)、中国の成都市で行われた第6回AFCメディカルカンファレンス2019の期間中に開催され、日本からエントリーしていたドクター4名が以下のアワードを受賞しました。

第2回AFCメディカルアワード

AFC Football Medicine Merit Award
青木治人 医師(元JFA医学委員長、元FIFA/AFC医学委員)

AFC Distinguished Service Award(Gold)
福林 徹 医師(前JFA医学委員長、元日本代表チームドクター)
宮川俊平 医師(JFA医学委員、元日本代表チームドクター)
森川嗣夫 医師(JFA医学委員、元日本代表チームドクター)

AFCメディカルアワードは、アジアのサッカーの発展に多大なる貢献をしたドクターに与えられる賞で、AFC Football Medicine Merit Award、AFC Young Medical Officer Award、AFC Distinguished Service Awards(Gold:25年、Silver:20年、Bronze:15年)の3つの賞があります。第1回は2015年にインドで開催され、日本からはAFC Young Medical Officer Awardを斎田良知医師(順天堂大学)が、AFC Distingushed Service AwardのGoldを青木治人医師、Bronzeを土肥美智子医師(JFA医学委員)が受賞しました。

コメント

福林徹 医師
この度はAFC Distinguished Service Award (Gold)を頂戴し、身にあまる栄誉です。学生時代はテニス競技でサッカーとは無縁でした。整形外科医として関東労災病院に勤務していた時、比較的近くに読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)のグラウンドがあり、監督が高校時代の同期(相川亮一氏)であったことから、ラモス(瑠偉)、カズ(三浦知良)、北澤(豪)各選手などを診ることになりました。読売クラブは南米特有のサッカーを旗印に当時の強豪チームをなぎ倒し、日本一となりました。クラブからカズ、加藤(久)、北澤、松木(安太郎)各選手などが日本代表チームに選ばれ、日本代表のチームドクターとしての帯同要請が届きました。これが、1998FIFAワールドカップフランスに向けてのスタートとなりました。そしてジョホールバルでの歓喜とともに、日本代表チームとして初めてFIFAワールドカップ本大会に出場する快挙を成し遂げました。その経験をもとにJFA医学委員長になってからは、理事会の同意のもとに科学的なメディカルサポートを考案し、実行させていただきました。その一つに管理栄養士の帯同と、日本陸上連盟のコンデショニングコーチの採用です。これにより高所での試合にベストな体調で臨むことができ、2010年のFIFAワールドカップ南アフリカではノックアウトステージへ進むことができました。スポーツ医学の今後は、from care to prevetionの時代かと思います。今後もスポーツ医学の分野で自分なりに努力したいと思います。

宮川俊平 医師
1987年からJFA医学委員会のメンバーとしてサッカー選手のメディカルサポートのお手伝いをさせていただいておりますが、石の上にも三年ということわざがあるように、特に大きなことをしてきた訳ではありません。「長い間ご苦労様でした」的な賞かと思っています。サッカードクターの方々のご協力や日本サッカー協会の方々のご支援がなければ受賞できなかったでしょう。関係者の方々にお礼申し上げます。AFCメディカルカンファレンスは、1995年に大畠襄医学委員長のもとで始まりましたが、当初は資金繰りも厳しく、各国の方々が集まりにくかったにもかかわらず「盛会」で始まったことを記憶しております。当時、私は「Road to France」に向けた日本代表のチームドクターとして、福林徹先生とチームをサポートしていましたが、2002FIFAワールドカップの招致活動や、1998FIFAワールドカップ初出場などいろいろな思いが込められて始まった会かと思います。今ではこのカンファレンスも招致合戦で大変だと聞いています。今後もAFCを盛り上げていくのは日本のドクターの方々かと思いますので、この気概を後輩に継承していきたいと思います。

森川嗣夫 医師
この度AFC Distinguished Service Award (Gold)を受賞しました。これもひとえにこれまでご指導、ご鞭撻いただいた先生方、関係者の皆様のお力の賜物であり、心から感謝申し上げます。私は1981年に千葉大学医学部を卒業し、整形外科教室に入局しました。最初にJFAのお仕事をいただいたのは、その年にU-16日本代表のチームドクターとしてシンガポールで開催されたLioncity Cupという大会に帯同することでした。その後1995年、1997年にワールドユース(現U-20FIFAワールドカップ)のドクター、2002年、2006年のFIFAワールドカップのドクターとして日本代表に帯同しました。その間、至らないことも多々あったと思いますが、多くの先生方、JFAはじめ関係者の皆様に助けられ、何とか職務を遂行できたと考えています。またJFAの医学委員として、大畠襄先生、若山待久先生、青木治人先生、福林徹先生、池田浩先生の各委員長のもとで活動させていただきました。日本のサッカーを取り巻く環境はこの30年間で大きく変わり、医学的なサポート体制も充実してきていることを実感しています。しかしまだ解決していく問題は多く残されていると思います。今後も皆様のお力をいただきながら、サッカーの発展に寄与することができればと考えています。

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