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SAMURAI BLUE

〜プレーヤーズヒストリー〜

第17回 〜特別編〜 イビチャ・オシム

今回の『プレーヤーズヒストリー』は、2022年5月1日にご逝去されたイビチャ・オシム元日本代表監督の特別編をお送りいたします。

イビチャ・オシム氏の訃報に接し、こころよりご冥福をお祈りいたします。

プレーヤーズヒストリー

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ジェフユナイテッド市原・千葉で、日本サッカーの新しい潮流を作ったイビチャ・オシムがSAMURAI BLUEの監督に就任したのは、2006年7月。そしてその翌月となる2006年8月9日、キリンチャレンジカップ2006・トリニダード・トバゴ代表戦で日本代表監督としての初陣を飾った。

2006FIFAワールドカップ ドイツにおけるグループステージ敗退という失望を乗り越え、再び世界と伍する。サポーターが抱くオシムへの期待は大きかった。

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オシムが代表監督となり、SAMURAI BLUEには初顔となる選手も多く召集された。

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その中の1人であり、その後、SAMURAI BLUEの最終ラインに欠かせない存在となる田中マルクス闘莉王(当時、浦和レッズ)は、オシムのことを「違う角度からのサッカーを見せてくれたし、多くのことを勉強させてくれた監督。オシムさんの指導を受けるなかで、サッカーは奥深いものだと改めて感じた」と語っている。

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闘莉王のみならず、オシムの指導に触れた選手たちは異口同音に言う。サッカーを深く思索させ、ピッチ上で表現させる。それが、指導者オシムだった。

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旧ユーゴスラビア代表の選手として、そして監督としても名を馳せたオシム。2007年6月1日のキリンカップサッカー2007では、旧ユーゴスラビアを構成していた国のひとつであるモンテネグロ代表と対戦する。旧知の仲間も多く、前日練習や試合前には笑顔が多く見られた。

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しかし試合になれば、その表情は激変。勝利を追求する厳しい指揮官の姿が、そこにはあった。

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この試合に出場した中村憲剛(当時、川崎フロンターレ)は、「試合をするたびに、チームとしても個人としても右肩上がりで成長を実感することができていた。このチームはどこまで進んでいくのだろうかという期待感しかなかった」と語る。

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中村の言葉は当時、日本中のサッカーファンが抱いていた感情と同じだったと言えるだろう。

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2007年7月に開催されたAFCアジアカップ2007。オシム率いるSAMURAI BLUEは大会3連覇をかけ、準決勝に駒を進めた。

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2007年7月25日、対するは日本と同じく過去最多3回の優勝を誇るサウジアラビア代表。2度リードされる苦しい展開ながらも、中澤佑二(当時、横浜F・マリノス)と阿部勇樹(当時、浦和レッズ)のゴールで同点に追いつく。

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しかし57分、3点目を決められると、その後、日本が追いつくことはなかった。サウジアラビア代表に2-3。目指していた大会3連覇は夢と消えた。

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悔しいアジアでの戦いから、1ヵ月を経てSAMURAI BLUEはオーストリア遠征を戦った。彼の地のトップクラブであるシュトゥルム・グラーツで長く指揮を執ったオシムにとって、オーストリアは第2の故郷。激しい練習の後には、地元ファンから囲まれる姿もあった。

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このオーストリア遠征から2ヵ月後の2007年11月16日、オシムは病に倒れる。一命は取り止めたものの、代表監督への復帰はままならず、2010FIFAワールドカップ 南アフリカへ向けたSAMURAI BLUEの指揮を岡田武史へと譲った。

しかしその後も、オシムは日本サッカーに大きな愛情を注いでくれた。退院後、奇跡的な回復を見せ、2008年1月30日には、SAMURAI BLUEが母国のボスニア・ヘルツェゴビナ代表と戦ったキリンチャレンジカップ2008を観戦。国立競技場を埋め尽くした日本のサッカーファンをおおいに喜ばせた。

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そしてオシムが提唱した「日本のストロングポイントを生かしたサッカー」は今もなお、色褪せない。

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イビチャ・オシム。彼が日本を深く愛してくれたことを、我々はいつまでも忘れない。

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