フォルトゥナ・デュッセルドルフで活躍する田中碧選手は、1998年9月10日生まれ。SAMURAI BLUEでは2019年12月14日、EAFF E-1 サッカー選手権 2019 決勝大会の香港戦でデビューを飾りました。
先の第32回オリンピック競技大会(2020/東京)では、U-24日本代表の中心選手としてピッチを駆けた田中選手。今後はSAMURAI BLUEでのさらなる活躍が期待されます!
1998年9月10日生まれ。ポジションは、MF。小学生の頃から川崎フロンターレの下部組織で育ち、2017年、U-18からトップチームに昇格。2019年にはJリーグのベストヤングプレーヤー賞を受賞した。2021年7月、ドイツのフォルトゥナ・デュッセルドルフに移籍。
SAMURAI BLUEには、2019年12月のEAFF E-1 サッカー選手権 2019で初選出。出場試合数はまだ2試合だが、ドイツでの成長とともに今後、SAMURAI BLUEでの活躍が期待される。
9月のSAMURAI BLUEレジェンド1人目は、1967年9月18日生まれの井原正巳氏。SAMURAI BLUEでの通算出場試合数122試合を誇る「アジアの壁」は、1998FIFAワールドカップ フランスでキャプテンを務めました。
現役引退後は指導者の道を進み、北京オリンピック2008ではU-23日本代表コーチ、現在は柏レイソルのヘッドコーチとして、第一線で活躍しています。
熱いプレーとここぞという時の得点力で、長くSAMURAI BLUEのストライカーとして活躍した中山雅史氏は、1967年9月23日生まれ。
1998FIFAワールドカップ フランスではグループステージ3試合すべてに出場し、第3節のジャマイカ戦では日本の初ゴールを決めました。また4年後の2002FIFAワールドカップ 日本/韓国にも選出され、ロシア戦でピッチに立ちました。
現役引退を明言せずに、現在は古巣のジュビロ磐田でコーチを務める中山氏。これからも熱意あふれる姿勢で日本サッカーと向き合ってくれることでしょう。
中山氏らとともに、黄金期のジュビロ磐田を担った福西崇史氏は、1976年9月1生まれ。Jリーグベストイレブンにも4度輝き、SAMURAI BLUEでは2002FIFAワールドカップ 日本/韓国、2006FIFAワールドカップ ドイツと2大会連続で出場しました。
現在は解説者として活躍していますが、その端正なルックスに秘めたサッカーへの情熱は現役時代と何ら変わりありません。
1979年生まれの「黄金世代」を代表する1人、稲本潤一選手は1979年9月18日生まれ。2002FIFAワールドカップ 日本/韓国では初戦のベルギー戦、続くロシア戦でゴールを決め、日本のワールドカップ初勝利に貢献するとともに初のベスト16入りの立役者となりました。
4年後の2006FIFAワールドカップ ドイツにも出場。2大会連続で世界の大舞台に立ちました。
イングランド、トルコ、ドイツ、フランスと長くヨーロッパでプレーした稲本選手ですが、2010年1月、川崎フロンターレへ移籍しJリーグに復帰。Jリーグでも輝きを放ち、2010FIFAワールドカップ 南アフリカで3大会連続ワールドカップ出場を果たしました。そして現在もなお、SC相模原で現役生活を続けています。
最後にご紹介するのは、稲本選手とともに「黄金時代」の象徴ともいえる、1979年9月27日生まれの小野伸二選手。1998FIFAワールドカップ フランスでは、18歳272日でピッチに立ちました。これはSAMURAI BLUEの史上最年少ワールドカップ出場記録となっています。
浦和レッズからオランダのフェイエノールトへ移籍し、当時のUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)を制覇。ヨーロッパタイトルを手に臨んだ2002FIFAワールドカップ 日本/韓国では、全4試合に出場しベスト16入りに貢献しました。
5シーズン過ごしたフェイエノールトから浦和レッズに復帰した2006年には、自身3大会連続出場となる2006FIFAワールドカップ ドイツで、初戦のオーストラリア戦に途中出場を果たしました。
その後、ドイツ、オーストラリア、そしてJリーグでプレーを続け、今年の1月にはFC琉球から2年ぶりに北海道コンサドーレ札幌に復帰。どのクラブでプレーしても、その天才的なセンスと類い希な技術で、チームの太陽として輝き続けています。
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