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ホーム > SAMURAI BLUE > 最新ニュース一覧 > パスウェイ ~技術委員長 反町康治「サッカーを語ろう」第27回~

ニュース

パスウェイ ~技術委員長 反町康治「サッカーを語ろう」第27回~

2023年03月01日

パスウェイ ~技術委員長 反町康治「サッカーを語ろう」第27回~

サッカー選手のパスウェイ(子供からトップ選手になるまでの道筋)を考えるとき、日本には外国と大きく異なる特色がある。大学出の選手が多いこともその一つだ。昨年行われたFIFAワールドカップカタール大会を例にとれば、ケガで大会直前に最終メンバーから外れた中山雄太(ハダーズフィールド・タウンFC)を含めて、27人中9人が大学を経由してプロ選手になった。これほど大学に進学してプロになる選手が多い国は日本くらいだろう。もう一つの特色は代表選手のユース年代の育成ルートが高体連の部活、Jクラブのアカデミー、そして街のクラブと複線化していることである。カタール大会のメンバーの場合、高体連組は13人。残りはJクラブのアカデミー出身者が13人で、相馬勇紀(カーザ・ピア)のように街のクラブ(三菱養和サッカークラブユース)で育った選手も1人いる。これらのパスウェイから見えてくることは、日本の代表選手の大半は一番身近な地元の少年団やスクールなどでサッカーを始め、ジュニアユースやユース年代になるとJクラブのアカデミーや中高サッカー部強豪校の一員になるものの、そこから簡単にはプロの世界に上がれず(あるいは自分の意思で上がらずに)、回り道をするケースがあるということである。U-12から川崎の一員になり、そのままストレートにトップチームまで上り詰めた板倉滉(ボルシア・メンヒェングラートバッハ)や田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)は少数派といえるのである。これがイングランド代表になると、全員がクラブ育ちで大卒の選手は一人もいない。そもそも彼らにとっては中学や高校にサッカー部があること自体、理解の外だろう。だからこそ三笘薫(ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC)のように川崎のユースチームにいながら、大学に進んでドリブルに関する卒業論文を書き、それからプロになって代表選手になり、プレミアリーグで活躍するということがアンビリーバブルなこととして報じられるわけである。

日本では大学経由で頭角を現す選手がいることは不思議でも何でもない。必然的に大学サッカーとの連携が重要になるので、我々、日本サッカー協会(JFA)も技術委員会に大平正軌・流経大准教授をメンバーとして迎え入れている。FAの技術委員会に大学サッカー部関係者がいるのは、ひょっとすると日本くらいかもしれない。日本の大学サッカーの競技レベルが世界的に見ても高いことは、2017年と2019年のユニバーシアード大会を連覇したことでも分かる。残念ながらユニバからサッカー競技は2019年ナポリ大会を最後に除外されてしまった。大学生にタレントが多い日本の現状を思うとき、優秀な学生をピックアップして世界大会に臨むという形がなくなったことは本当に大きな損失である。大学生に日本国内では味わえない強度の中で試合をしてもらうにはどうしたらいいか。モーリスレベロトーナメント(旧トゥーロン国際トーナメント)やアジア競技大会など、対象年代が参加できる国際大会がいくつかある。大学側は代表活動に協力的だし、特別指定選手制度を使ってJリーグに出ている優秀な選手もいてレベル的には問題ない。ただし、日本の特殊事情を大会主催者などから理解してもらうことはなかなか難しいのが現状だ。

大学サッカーのレベルの高さを喜びつつ、私には内心、忸怩たる思いもある。その理由を長友佑都(FC東京)を例に語ってみたい。1986年9月生まれの長友は愛媛の神拝サッカースクールで競技人生をスタート、西条北中学、東福岡高を経て明大に進んで、在学中に特別指定選手としてFC東京でプレーするようになった。サッカー関係者の注目を集めるようになったのはそこからだ。当時、北京オリンピックを目指すチームを率いていた私はオリンピック予選最終ラウンド進出を決めた後の消化試合となったマレーシア戦(2007年6月6日、東京・国立競技場)で長友を初めて起用した。この試合で長友はいきなり先制点を挙げてくれたのだが、まだこの頃はお試し期間に過ぎず、同年8月から11月にかけて行われたアジア最終予選ではメンバーに入れるのは時期尚早と感じていた。長友が急激に伸びたのは北京オリンピック出場を決めた後だった。戦力化する必要を認めた私は2008年2月の米国合宿中に行ったグアテマラとの2つの強化試合、そして3月に東京で行ったアンゴラとの強化試合で立て続けに長友を先発で起用した。さらに5月のトゥーロン国際に彼を連れていこうとしたのだが、期間が重なったSAMURAI BLUEの活動を優先することになった。長友は5月24日のキリンカップ、コートジボワール戦で代表デビューを飾り、ワールドカップ予選(南アフリカ大会)を戦うメンバーに組み込まれていく。

大きな国際大会を経験することなく、北京オリンピック本番に突入した長友は、今の長友とは別人だった。本当に〝若葉マーク〟という感じで、初戦の米国戦は過緊張のあまりミスを連発した。私はベンチの安田理大にすぐにウォーミングアップを命じた。ピッチの選手は控え組の動きを敏感にキャッチする。アップを始めた選手を見て、誰が交代させられるかの見当もつく。それをキャッチして「監督は俺を代える気なのか」と発奮してエンジンをかける者もいる。このときの長友はそんなベンチの動きもまったく気づいていなかったそうだ。恐ろしく視野が狭くなっていたわけである。後で長友から「オリンピックがこんなに注目される大会だと思っていなかった」という告白を聞かされたが、代表で戦うことの「重さ」に気づいていなかったのである。北京オリンピックが終わった後、私はJFAにリポートを提出した。その中で「長友の様なオリンピックが世界大会デビューというのは決して好ましくはなく、やはりそこに至るまでに何度かは『世界』を経験していく必要がある」という趣旨を書いた。なぜ、長友をそれまでの国際大会に一度もピックアップすることができなかったのか? もし長友が2005年にオランダで開かれたU-20 FIFAワールドカップに呼ばれていたら、精神的にも安定し、もっと良いパフォーマンスができただろうし、それはチームに好影響をもたらしただろう。もちろん選手の成長曲線は人それぞれであるが、選手発掘の重要性を大いに認識させられた。北京オリンピックの悔しさをバネにSAMURAI BLUEの常連となった長友は南アフリカのワールドカップでベスト16進出に貢献。ワールドカップを踏み台にしてイタリアのチェゼーナに移籍し、名門インテル・ミラノでプレーする見事なキャリアを築いてくれた。彼がJFAのTeam Cam等で「反町さんが僕を見つけてくれた」と言っているのを聞くと嬉しいと同時につらくなるところもある。私の方こそ「それまで、君という存在に気づけてやれなくて本当に申し訳なかった」と謝りたくなるからだ。

同じような気持ちを私は三笘にも感じてしまう。彼はカタールで衝撃のワールドカップ・デビューを飾ったが、もし一つ前の2018年のロシア大会でデビューできていたら、あるいはもっと遡って、U-17やU-20とアンダーエージのワールドカップから国際経験を積めていたら、もっとカタールで計算できる選手になっていたのではないか。もっと輝かすことができていたのではないか。そういう反省の念がどうしても募ってしまうのである。複線化した育成のレールのどこからでもプロになり、代表選手になるチャンスがあるのは日本の育成の強みだが、裏返すと、どこに前途有望なタレントが潜んでいるのか、情報のアンテナを常に張り巡らせておく必要があるともいえる。選手発掘に漏れがあっては絶対にならない。その一環として、JFAは街のクラブと中体連のU-15、U-14を対象に全国9地域から選手を推薦してもらい、JFAタウンクラブ・中体連キャンプを実施してきた。実はそこに一番興味を持って見学に来るのはJクラブのアカデミー関係者だったりする。彼らもタレントを見落とすまいと必死なのだ。

埋もれそうな才能がぎりぎりのところですくい上げられることはある。今、セルティックで活動中の前田大然もそうだ。高校時代の彼を知る者で、その姿を想像できた者がどれほどいるだろうか。彼のプロ入りに手を貸した私でさえ信じられない思いだった。大然は山梨学院大附属高3年のとき、大学に進むかサッカーで身を立てることを諦めるか、大きな岐路に立たされたところで、松本山雅で1週間ほど預かることになったのだった。同校の吉永一明監督から「面白い選手がいる。どうにか見てやって欲しい」とお願いされ、シーズンが終わる間際、11月の1週間だけ、練習に参加させたのである。当時、松本山雅の監督だった私は大然のダイアゴナルランのスピードとタイミングがずば抜けて良いことに目を奪われた。正直、ボールがオンになるとアラは目立つのだけれど、オフ・ザ・ボールの動きは抜群にすごい。もう新人選手の獲得資金は使い切った後で予算はなかったけれど、オフ・ザ・ボールの抜群の動きに懸けて、無理やりフロントに頼んで入団させた。そんな前田がJリーグで得点王になり、ワールドカップでFWの軸になり、今やセルティックを跳躍台にプレミアリーグに行くかもとまで言われているのだから、選手の能力開発には本当に予測不可能なところがある。松本山雅の入団会見で大然は「東京オリンピックに出たいです」と夢を語った。その場にいたほとんどの人は、学ランを着て、頭は丸刈りの大然の話を聞きながら「変わった子だな」くらいにしか思わなかっただろう。そのときのことが脳裏に焼き付いているので、彼がクロアチア戦でゴールを決めたときは本当にうれしかった。そして今も大然のような原石がどこかに眠っているのだろうと、しみじみ思うのである。

変化に富んだパスウェイという意味では遠藤航(VfBシュツットガルト)も一つのサンプルになるかもしれない。彼のJリーグ・デビューは私が湘南の監督をしていた2010年のことである。その年の湘南は11年ぶりにJ1で戦うことになり、就任2年目の私は9月18日の川崎で17歳の遠藤を試合に使った。すると12月4日の新潟との最終戦でヘディングでプロ初ゴールを決めたのだった。J1通算6試合目のことだった。チームがスーツ着用で各地に移動するとき、航だけはまだ学ラン姿だった。私としては無理やり航を使ったつもりはなく、普段の練習を見て、実力を示す彼を見て「やれるな」と感じて試合に使っただけだった。別に自慢話ではなく、大然や航の成長を見るにつけ、アンテナを張ること、機会を与えること、レベルが違うと思えばレベルに合ったステージに送り出すことは、指導者としての務めだと思うのである。逸材はタウンクラブにいるかもしれない。田舎も都会も関係なしにいるかもしれない。日本にはいろんなパスウェイがあるのなら、セレクトの仕方や目の付け所も多岐に渡るものでなければならないのだろう。指導者には自分のところには良いタレントはいないと嘆くのではなく、少しでも良いところを伸ばす指導をしてもらいたいと思う。ワールドカップのドイツ戦で決勝点を挙げた浅野拓磨(ボーフム)にしても、スピードという群を抜いた武器がある。武器は本当に大事だ。

今、代表級の若手が次々に出てくる国といえば、イングランドとフランスが挙げられよう。イングランドが若いタレントを次々と送り出せるようになった理由をイングランドの強化担当に聞いたら、やはり優れたタレントをピックアップする情報網をブラッシュアップさせたとのことだった。その上でU-17、U-20、フル代表と着実に大人の階段を上らせている。アンダーカテゴリーの世界大会が万能とはいわないが、日本も鉄が熱いうちに「世界」でたたかれ、鍛えられるようにしたい。堂安律(SCフライブルク)や久保健英(レアル・ソシエダ)、冨安健洋(アーセナル)にしても、アンダーカテゴリーでの豊富な経験がワールドカップでの堂々としたたたずまいにつながっていると思う。国を背負って戦う代表経験と、UEFAチャンピオンズリーグ等の欧州のハイレベルな競技経験をクルマの両輪にしていくと、確実に鬼に金棒な選手になっていくと思っている。これからのパスウェイの変化を見通したとき、日本に現住所がない選手も選ばれる時代が遠からずやってくるだろう。3月1日から18日までウズベキスタンで開催されるAFC U-20アジアカップのメンバーに選ばれた髙橋仁胡(FCバルセロナ)もそういう1人である。まだ17歳。うまくすれば、次のU-20 FIFAワールドカップ、2024年パリオリンピック、2028年ロサンゼルスオリンピックまで中心選手になれるかもしれない。国際化を反映して第2外国語が日本語みたいな海外で暮らす子弟も今後は対象としてどんどん増えてくるに違いない。ドイツのデュッセルドルフに構えたJFAの欧州拠点はそういうタレントを見逃さないためにもある。

JFAが考える理想のパスウェイとは17歳でJリーグにデビューし、10代でSAMURAI BLUEの初キャップを手にするような道程だと、これまで繰り返し述べてきた。ドイツやスペイン、フランスと日本との決定的な違いは、16歳から18歳で経験するハイレベルな試合の数が、あちらの方が圧倒的に多いことである。フランスのスカウトたちの感覚だと「21歳だと遅すぎる。我々が見るのは17-18歳のタレントだ」となる。それくらいのスピード感で選手を次々に育て、プロの世界に送り出さないと、とてもじゃないが、2大会連続でワールドカップの決勝に進むことはできないのだろう。日本も同じようにスピードアップしたいのだが、Jクラブのアカデミーに属していれば、17歳のJデビューはすんなりいけても、高体連の所属となると、特別指定選手制度はあるものの、学校制度とかサッカー界だけでは解決できない難しい壁があり、そうは簡単に事は運ばない。ただ、一方でいろんなパスウェイがあることを悲観的にとらえる必要もないと思っている。遅咲きの選手をピックアップできる日本の良さは大事にしつつ、速くすべきところはなるたけ速くする。現状に甘んじることなく常に危機感を持ちながら、自分たちの武器は何かを常に問い直し、磨きをかけていきたいと考えている。

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