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監督という仕事 ~技術委員長 反町康治「サッカーを語ろう」第8回~

2021年03月23日

監督という仕事 ~技術委員長 反町康治「サッカーを語ろう」第8回~

「日本サッカーの師」といえるデットマール・クラマーさんが日本に紹介した「試合終了のホイッスルは、次の試合へのキックオフの笛である」という言葉が、私は好きだ。J2の松本山雅の監督をやり、2018年に優勝でJ1昇格を決めた直後の挨拶でも、この言葉を使わせてもらった。この言葉どおり、監督の頭の中も常に「次」に向けて高速で回転しているのである。Jクラブの監督をしていたころ、試合終了とともに、次の対戦相手のその日のリザルトをチェックしたものだ。他チームの警告の累積数も頭に入れているから、警告や退場はインターネットですぐに調べて「ああ、○○は次の試合に出られないな」と確認していた。選手交代も、それが戦術的なものかケガによるものか、すぐに調べを入れた。自分たちの試合を振り返ることと同時に、対戦相手の分析作業もすぐに走らせた。自チームと相手チームの分析をどういう割合で進めるかは、監督の頭にピクチャーとしてある。昨季、J1を独走優勝した川崎フロンターレのように、自分たち主導で絵が描けるチームならともかく、松本山雅を率いた時は入念に対戦相手のことを丸裸にし、その穴を突くことに力を割いた。

監督にはいろいろタイプがあり、どこに行っても同じ戦い方を選手にさせる、自分のコンセプトを重視する人がいる。それがうまくはまるといいが、結果として、選手の特長を引き出せずに終わることが多いようである。前にも触れたが、ペップ・グアルディオラ監督の下でFCバルセロナのサッカーが一世を風靡した頃、それに感化されてシャビもメッシもイニエスタもいないのに「バルサのようなサッカー」を目指す監督が増えたが、ほとんどはうまくいかなかったように思う。私はというと、選手という素材を見て、調理の仕方を変えるタイプだ。例えば、湘南時代(2009年~11年)は4バックを採用して戦ったが、松本山雅では3バックを採用した。ゴールエリアの長辺の幅を2人で守れるセンターバック(CB)がタイプとしていなかったからだ。それならば、ペナルティーエリアの長辺の幅を3人のCBで守った方が堅さは増す。日本のサッカーファンはシステム論や選手の並べ方の議論を好むけれど、守備にしても攻撃にしても、監督に必要なのは、選手の能力や適性に合わせてチームを構築できる引き出しの多さだと思っている。3バックか4バックかも最初から「ありき」で決めることではない。サイドアタッカーとサイドバックの関係も、それぞれの持ち味や力量に応じて、攻守の絡め方は違ってくる。

練習の中身もチームの状況に応じて変わる。湘南時代の私の練習は、ほぼ攻撃オンリーだった。守備の個人戦術はある程度の水準に達していると感じたので、自分が必要だと思うものを優先的に落とし込んだのだ。ちょうどドイツ・ブンデスリーガでぐんぐん頭角を現したラルフ・ラングニック(当時はホッフェンハイム監督)を訪ねて、いろいろと勉強したばかりだったから、攻撃の練習も、いかに縦に速く攻めるかを徹底させた。「急がば回れ」ではなく「急がば急げ」というか、パスをいたずらに横につないで横に2対1の数的優位をつくるのではなく、縦で2対1を作れと指導した。松本山雅の時代(12年~19年)は逆に守備の練習に時間を多く割くことになった。それもまた選手の顔ぶれを見て、私の中の別の引き出しを開けただけのこと。私の中では〝宗旨変え〟をしたつもりはまったくないのである。

トレーニングもゲームも、とにかく準備が大事だ。自分たちの情報と相手の情報をたくさん持ち、それを的確に分析して試合に役立つトレーニングをして本番に臨む。準備段階で間違いが少ない方が勝率は高まる。監督がどれくらい準備に余念がないかを示すものとして、元日本代表監督のイビチャ・オシムさんのエピソードがある。ジェフユナイテッド市原(現千葉)を率いたころのオシムさんはJリーグの試合を毎節全部見ていたという。次の自分たちの対戦相手だから見る、というような次元ではなかったらしい。それに加えて、最先端の動きを見逃すまいと、欧州の試合もつぶさにウオッチしていた。

私の場合、そこまではできなかったが、試合翌日のオフは次の対戦相手の直近の3試合は必ずフルで見ていた。近年は分析ソフトを使ったデータの利用も盛んだが、私自身はどちらかというとアナログ派だ。分析ソフトにかければ、100くらいの項目がすぐにデータとなって出てくるが、先にそれに目を通すと固定観念を持ってしまう気がするのだ。数字に踊らされるのが嫌で、あえて遮断するというか。試合の映像を自分の目で確かめながら、気になったことはどんどんメモする。「中盤ではここへのパス多い」とか。結果的にデータと突き合わせると、そんなに変わりはないから、私の見立てを補強する材料にデータはなってくれている。私に言わせれば、最高のスカウティングは生で試合を見ることだ。長野県の松本から山梨県の甲府くらいは簡単に往復できる。見たいカードが甲府である時は、自分で足を運んだものだった。実際に自分で試合を見て、作るメモに勝るものはないと思っている。スカウティングビデオもそのメモを元に作ってもらったりした。とにかく、オフ明けのボールを使った最初のトレーニングから相手の情報をインプットした状態で始められるようにした。

練習をコーチに任せる監督もいるが、私は自分でやらないと気が済まないタイプだった。ここでも、いろいろなタイプの監督がいるが、最終的に責任を取るのは監督なのだから、自分の信じる道を行けばいい。自分でやらないと気が済まないといっても、攻撃にフォーカスして練習をする時は、私は攻撃のことしか関わらない。守る側の粗が目についたとしても、そこはアシスタントコーチに任せる。攻撃を改善しようとしているのに、同時に守りのことも監督があれこれ言い出したら、トレーニングの狙いがぼけてしまうからだ。それは「ランダムコーチング」といってS級ライセンスの講習でも悪い例とされている。守備を担当するコーチのトーンは3分の2くらいに抑える。そうすることで監督の声はより届きやすくなる。

試合前のミーティングで心がけたのは、与える情報と割愛すべき情報の取捨選択をしっかりやることだった。ミーティングで見せるパワーポイントにはピッチ上でのこちらと相手の並び、クロスの形になったら必ず交差する動きを入れてくるといった相手の攻撃の特長、メンバー交代のタイミング、レフェリーの判定の傾向なども載せる。さらにスタジアムに到着したら風向きやピッチコンディションを確認する。芝生の長さ、散水によるピッチの水分量も大事なチェックポイントだ。試合前、ハーフタイム、どれくらいの量をまくのか(アウェーではまかれているのか)。シュートが水分量で変化するのをGKは特に嫌がるから、DFやGKがここでは相談相手になる。キックオフ前の練習では、私は自チームより相手チームを観察していた。あの時間をただのウオーミングアップと思ったら大間違いだ。そこで試合でやるべきことの最終確認をしているチームは多く、時にその狙いが透けて見えることあるからだ。ロッカールームではこの試合の意義や意味について強調し、「向こうは60分くらいから運動量が落ちるから最初は風下を取って、風上の終盤に勝負に出ようとか」といった最終確認にも充てる。選手が安心してゲームに入れるように、先発の11人にはそれぞれにメッセージを用意しておく。「おまえなら、あいつに全部スピードで勝てるから、どんどん仕掛けていけ」とポジティブなアドバイスを送る。最後は自信を持たせることが大事だ。ただし、さじ加減は大事、あまりやり過ぎてもいけない。与える情報が多すぎると、選手が消化不良を起こし、頭でっかちにもなって、プレーから躍動感が奪われるからだ。

監督の重要な仕事に選手交代がある。これは試合の展開次第だが、早い時間帯での交代で気をつけていたのは、交代で入る選手への指示の伝達はコーチに任せること。選手は結構、監督のベンチでの動きを見ていて、監督とベンチの選手が話し込んでいると「監督があの選手と話しているということは、交代は俺か」と思わせることになるからだ。そう思った途端に集中力が鈍る選手がいる。思い出すのは長友佑都(現マルセイユ)の世界大会デビュー戦、2008年北京オリンピックの米国戦のことだ。今の姿からは想像もつかないが、この試合の長友は完全に雰囲気にのまれて浮足だっていた。危なっかしい場面が何度も立ち上がりからあったので、あえて私が動いてベンチの安田理大(現千葉)にウオーミングアップするように指示した。それを見せて、長友に「活」を入れるためだったのだが、後に聞いたら、長友はそんなベンチの動きもまったく視界に入っていなかったそうだ。誰もが、そんな失敗をくぐり抜けて、歴戦の猛者になっていくのである。

試合の入りはゲームの流れを左右する大事な部分だが、私のやり方は、自チームの最初の10分は私がしっかり見て、相手がどういう戦いを仕掛けてきているかはアシスタントコーチがしっかり見るというものだった。そして10分がたったら、お互いの見立てを擦り合わせて、プランに狂いがないかを確認したり、その後の対策を立てたのだった。ゲームプランと実際の展開の食い違いを、どう修正していくかはサッカーの永遠のテーマだろう。ベンチが選手の判断を奪ってしまうと、選手はプレーする面白みや喜びを失ってしまう。喜びや達成感はスポーツをする上ですごく大事なことだ。ゲームプランの遂行にあたって、監督の分身のような選手がピッチにいると助かるとは思う。自分にはそういう選手はいなかった。というか、置かなかった。チーム内のヒエラルキーが変わる気がして。湘南時代はキャプテンも決めずに、GKから順番に回していったこともある。それでも開幕から10試合で8勝した。キャプテンの輪番制はみんなに責任感を持ってもらいたかったからだが、不慣れな選手は試合前の握手とコイントスを忘れて、主審にあきれられたりした。

とにかく監督業は十人十色で、これといった形があるわけではない。ただ、絶対に不可欠なのは常に学ぶ姿勢であり、学んだことをアップデートして固定観念にとらわれないことだろう。そういう意味ですごいと思うのは、ジョゼ・モウリーニョ(現トットナム監督)だろうか。モウリーニョがレアル・マドリードを率いたころ、11年4月に19日間で4度のバルセロナとの対戦「クラシコ」が実現したことがある。この頃のバルサは絶頂期で、どうやってもレアルの分が悪かったのだが、ある試合でモウリーニョがいきなり選手に中盤でマンマークをさせたのだった。あらゆる手を尽くすその執念には本当に驚いたし、私もそこからメモを取り始め、試合も録画して引き出しに入れておくようになった。対バルサでマンマークというと、今はリーズの監督をしているマルセロ・ビエルサがアスレチック・ビルバオを率いて、オールコートのマンツーマンで歴史に残る名試合をしたのを思い出す。それらのシーンを引き出しから取り出して、あるJ1の試合で2週間準備し、オールコートマンツーマンを採用して戦ったことがある。昨年まで大宮アルディージャの監督をしていた高木琢也と先日、電話で話をする機会があった。不意に高木が「そういえばあの試合でソリさん、オールコートのマンツーマンをやりましたよね」と聞いてきた。もう7年くらい前の話だが、指導者はみんな、そうやって人から学ぶことを続けているのだ。「学ぶことをやめたら教えることをやめなければならない」前フランス代表監督のロジェ・ルメールのこの言葉も私が好きな言葉の1つである。

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