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【JFA100周年企画】

「サッカーを通して
多くの人とのつながり、
いろいろな感動を味わえた」
山根威信さん(日本代表キットマネージャー)
インタビュー

2021/06/04
©JFA/PR

VOICES

サッカーファミリーの声

日本サッカー協会(JFA)は2021年9月に創立100周年を迎えます。ここではサッカーの魅力について考えるきっかけにするために、さまざまなサッカーファミリーにインタビューを実施します。第5回目はキットマネージャーとして日本代表を支える山根威信さんに登場いただきました。 ○オンライン取材日:2021年5月18日

サッカーと出合ったきっかけを教えてください。

山根

もともと兄がサッカーをしていて、その影響で小学3年生の頃、地元の小学校で活動していた少年団に入りました。そこから高校までプレーし、高校生の頃にはJリーグも開幕したのですが、僕自身はプロになれるレベルではなかったですし、サッカー関連の仕事に就くというのも全く考えていませんでした。

どのような経緯で日本代表のキットマネージャーになったのでしょうか。

山根

高校の同級生で、今も日本代表で一緒に働いている麻生英雄くんが横浜フリューゲルスでホペイロ(用具係)をしていたのですが、その麻生くんがFIFAワールドカップフランス'98で日本代表に帯同することになり、彼の後を引き継いだのがきっかけです。フリューゲルスのホペイロを2年間務めた時にチーム消滅という大きな出来事に直面し、1999年1月1日の天皇杯優勝を最後にクラブが解散となったタイミングでアディダスから声を掛けていただき入社しました。1999年はアディダスがJFAとオフィシャルサプライヤー契約を結んだ年で、日本代表にもホペイロのような人材が必要だということで、入社当初から関わるようになりました。

サッカーと出合ったことで、人生はどのように豊かになったのでしょうか。

山根

今の自分があるのは間違いなくサッカーのおかげですし、サッカーを通して多くの人とのつながりができました。いろいろな感動を味わえることも、サッカーと出合ったからこそだと思います。

これまでのサッカー人生で特に印象深い出来事を教えてください。

山根

選手としての思い出は多くはないですが、小学生の時に親がしてくれたサポート、例えば夏の暑い時期の大会でレモンを絞ってジュースを作ってくれたことなどは今でも思い出します。仕事としては、フリューゲルスの消滅は大きなターニングポイントでした。負けたら解散、勝ち続けるしかないという状況の中でチームが一つになっていきました。代表チームでは、ワールドカップのロッカールームで、試合を終えて帰って来た選手たちを迎え入れる瞬間が印象に残っています。勝利に興奮したり、負けて落ち込んだりという光景が思い浮かびます。

ワールドカップのロッカールームというと、試合後のきれいに片付けられた様子もよく話題になります。

山根

僕たちも掃除をしますが、選手たちも感謝の気持ちを持っているので、率先して片付けをしてくれます。使い終わったらきれいにして戻す、というのは日本人なら誰もができることだと思いますし、日本人が誇れる文化だと思います。

山根さんにとってサッカーとはどのような存在でしょうか。

山根

大げさかもしれないですけど、僕にとっては全てですね。今、僕が担っているキットの仕事も、他の社会に出ても応用できることは多いと思います。サッカーの仕事はいろいろなことに通じますし、多くを学べるので、僕の中ではサッカーは全てです。

©JFA/PR

JFAは今年9月に100周年を迎えます。

山根

僕の人生の倍以上ですし、すごい積み重ねがありますよね。僕が今、サッカーの仕事ができているのは先人の方々がサッカーをつないできてくださったおかげなので、感謝しています。

アディダスがサプライヤー契約を締結した1999年から日本代表に携わっていますが、喜びを感じる瞬間を教えてください。

山根

どんな試合でも勝利すればうれしいですし、僕自身は選手が気持ち良くプレーし、勝ってもらうために仕事をしているのですが、選手のサポートができるのはすごくうれしいですね。

JFA100周年に向けてのアディダスとしての取り組みを教えてください。

山根

SAMURAI BLUEが6月3日のU-24日本代表戦で、またU-24日本代表が6月5日のU-24ガーナ代表戦で、1930年代の日本代表のユニフォームを復元して作った復刻ユニフォームを着用します。もともとは9月の100周年の日に向けて動いていたのですが、「記念になるものを作りたい」というJFAからの発案もあって製作に至りました。モノクロの画像しか残っていなかったものを、文献を辿り、現存する1936年のユニフォームを参考にして復元しました。「過去への感謝、未来への決意」というJFA100周年のコンセプトに合い、歴史の重みを感じていただけるような形での商品展開も考えています。

未来を担う子どもたちへのメッセージをお願いします。

山根

子どもたちは純粋に楽しみながらプレーをし、試合を見ていると思うので、そのまま楽しくプレーをして、楽しく応援してほしいと思います。JFAの100周年も、みんなにサッカーを楽しんでほしい、サッカーを広めたいという思いを持ち続けて今に至っていると思うので、とにかく楽しむことが、サッカーが日本の文化になることにつながると思います。

これからの100年間でサッカーやJFAに期待することを教えてください。

山根

100周年の少し前からワールドカップの常連国と言われる立場になっていますが、出場するだけでなく、いつかは優勝できるような態勢をつくっていってほしいですし、自分も携わっているので、少しでもその力になれるようにサポートしていきたいです。

プロフィール
山根 威信(やまね たけのぶ)
1975年8月3日、神奈川県出身
小学3年時に少年団でサッカーを始める。高校までプレーした後に横浜フリューゲルスのホペイロとして従事する。1999年からはキットマネージャーとして日本代表をサポートしている。SAMURAI BLUE(日本代表)の活動では4度のFIFAワールドカップ(2002年、06年、10年、18年)を経験し、なでしこジャパン(日本女子代表)や年代別の日本代表の活動にも同行。練習や試合に向けての準備など多方面から代表チームを支えている。